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表現の中にある、他者への甘やかな信頼

コメカ    80年代の戸川純が表現していたのは、女性の「不能感」だったのでは……っていう話をしましたけど、「少女たちの自意識の苦しさの仮託対象」に、ゼロ年代の椎名林檎は意外となり得なかったのではないか、という気がしていて。

 X JAPANの項で話したような少女文化的な側面というのが椎名林檎の表現にもあったと思うんだけど、それは擬古文体だったり和風ヴィジュアルだったり、ギミックの奇抜さ・可愛さに対する思い入れという形で成立してたと思うの。ゼロ年代当時、ああいうヴィジュアルやギミックを好む少女たちというのを僕は間近に見た記憶がある。

 でも先に話したように、椎名林檎の音楽/言葉の世界観というのは本人が言うように「すごい普通」=スタンダードなものとして構築されていて、日本の大衆的ポップスとしてもきちんと機能するものになっている。

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 さらに、その「すごい普通」の価値観の中には、他者への甘やかな信頼というものが内包されていると僕は思っていて、そこが戸川純とも違うところだし、もっというと、フェミニズム的なものとも違うところだと思ってるのね。個人として正しく世界から切断されることよりも、甘やかな集団性・共同性をどこかで求めている印象があって、そのことが「日本的なるもの」を漠然と彼女が志向することにも繋がっていると思う。

椎名林檎 ©時事通信社

パンス    90年代のガーリー・カルチャーは、こと日本において、当時それらが政治的な部分に接続されることはなかったけれど、「みんなカメラを持って自由に表現していい」みたいな、ゆるやかに個人主義的な志向の突破口にはなっていたと思う。

「個人として正しく世界から切断」というその「正しさ」を僕は判定する立場ではないけども、90年代の終わりに椎名林檎やDragon Ashが持ち出した他者や共同体への志向は、個人主義からの後退として捉えることができるし、違う局面の始まりでもあったんだと思う。その傾向の中のある部分が徐々に国家に向かっていくのも自然なことだった。

コメカ    「男と女」的な関係性に基づくものだけじゃないポップへの可能性ってのが、ガーリー・カルチャーとかライオットガール的な文化にはあったわけだけど。椎名林檎はある意味で「少女たちのカリスマ」と言っていい時期があったと思うんだ。ただ、そこで提示できた世界観はあまりオルタナティブなものではなくて、ギミック混じりに「ねえ 後生だから傍に置いてよ」 (「とりこし苦労」)と歌ったりもしていた……っていうのは、けっこうデカいなーと。

 90年代ガーリー・カルチャー的な個人主義というのはやっぱり新自由主義的なものが徹底的に全面化する前の時代のもので、ゼロ年代の環境の中では椎名林檎のようなある種の過剰適応の作法の方が説得力があったんだろうなあと。