ゼロ年代の「過剰適応の作法」が行きつく先
パンス 2004年の日本人人質事件で、拘束された人々の「自己責任」を問う声が上がっていたとき、初めて市民って怖えなあ、という認識をした。あの頃はメディアの論調も、ネット上での意見もバッシング一色だったから。小泉/竹中流の新自由主義的な発想、責任論みたいな言説って、今でこそ歯止めをかけようとする動きがあるけれど、ゼロ年代前半には野放しにされていたから、今思い返すとけっこう過酷だったのかも。
「過剰適応の作法」がヒートアップした結果、ここ10年ほどは「国」というか体制そのものにいかに適応していくかという態度も目立つようになった。その源流は、この頃にあったと思う。
コメカ そういう風にネオリベラリズムが全面化していく状況の中で、自意識を暴走させてくずおれるようなこともなく、結果的に椎名林檎はきちんとビジネスを成立させていったと言える……まあ、大衆的なポップス/歌謡曲への志向というのがもともと素養としてあったりだとか、マスとの接点をきちんと作る才能があったってことですね。
ただ、そうして辿り着いた現在において、ワールドカップだったりオリンピックだったり、国民的イベントに重用されるようになった彼女の振る舞い方って、かつては雰囲気で和風ヴィジュアルや日本的記号をオモチャにして遊んでいたのが、本当に国家と接続される機会を与えられて本人もそのことについてきちんと咀嚼し切れてない感じがしていて。ジョークが本当になっちゃったというか。
ゼロ年代って言うのはそういう風に、反語やアイロニーがどんどん不成立になって、身も蓋も無く世界が「順接化」していく時代だったわけだけど……その中で当時ある意味で頭1つ抜けていた存在について、次項は話しましょう。
※続きは書籍『ポスト・サブカル焼け跡派』でお楽しみください。