頑張れ、耐えろ、くじけるな!
成績が低迷すれば、その矛先は監督に向けられるのは当然のことである。勝負の世界に生きるプロ野球の監督職というのは、そういうものなのだから。真中監督だって当然、その覚悟を抱き監督を引き受け、ベンチで采配を振るっているのだろう。実際にネット上では、さまざまな「真中批判」が噴出している。
ざっと挙げてみるだけでも、「勝負への執念が見えない」「重症な左右病(左投手には右打者を、右投手には左打者をという固定観念に凝り固まりすぎ)」「選手任せ」「負けても他人事のよう」「無策」……といくらでも批判の言葉は見つかるし、今回の「ライアン小川のクローザー転向」に関する辛辣な意見も多い。
2年連続最下位だったチームを受け継ぎ、就任1年目の2015年に見事にリーグ制覇。真中監督には感謝の思いしかない。71年早生まれの真中監督とは「同級生」でもあり、彼が監督に就任した際には、「ついに同い年の監督がヤクルトに誕生するのか!」と感慨深かった。その真中監督が苦境に陥っている。今こそ、ファンとして、同世代の一人として、彼を応援したい。いや、より一層の応援をする。
僕は、書棚から一冊の本を取り出す。真中監督の著書『できない理由を探すな!』(ベースボール・マガジン社)だ。優勝した翌年、16年の3月に発売された本だ。自らの座右の銘をタイトルに掲げた本書の中で、真中監督はこんなことを述べている。
監督に就任して、まず選手に伝えたことは「自己限定をするな。変化を恐れるな」ということでした。
チームを立て直すためには、新しい発想によって、新しいことを取り組まないと先に進むことはできません。そこにできない理由はないのです。
このたび断行された「ライアン小川リリーフ転向」こそ、故障者が続出して、低迷するチームへのカンフル剤として、まさに「新しい発想によって、新しいことを取り組まないと先に進めない」と決断したことなのだろう。その是非は、もちろんある。7日に続いて、9日の広島戦でも小川が打たれ、ヤクルトは目前で勝利を逃した。ひょっとしたら、この決断は失敗なのかもしれない。しかし、その判断を下すのは、もう少し先でもいいのではないだろうか?
結果が伴わないとき、ファンはどうしてもいら立ちを隠せなくなる。もちろん、僕だってそうだ。けれども、もう少し、もう少しだけ、真中監督がトライしようとしている「新しい発想」を「新しいこと」を見守っていきたいとも思う。惚れた者の弱み、それがファンというものだと思うから。
「七夕の惨劇」の翌日、僕はたまたま真中監督にインタビューする機会に恵まれた。別の媒体で記事にするので、詳細をここで触れることは控えるけれども、真中監督は「さんざん悩んで下した決断。もちろん、全責任を背負うつもりでいる」と言い切った。僕はこの言葉の重みを噛みしめる。願わくば、この決断が吉と出て、チーム状態が上向くことを期待している。けれども、もしも凶と出た場合、チームがさらにどん底に沈んだとしても、それでも見守り続けるつもりだ。
心の中で、僕はいつでも叫んでいる。「頑張れ、耐えろ、くじけるな!」と。真中監督へ、そしてヤクルトナインへ、いつもこのフレーズを叫んでいる。
2017年7月7日――僕は、この日のチケットをずっと大切に持ち続ける。何かが変わるきっかけとなる敗戦、後に「あの負けがあったから、今がある」と笑える日となるチケットだからだ。これで何も変わらなかったら、しばらくの間は何をやってもダメだろう。見捨てはしないけれど、自浄作用が何も働かないチームに、明るい未来はない。
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