「連れていけ」「明日も来たい」
そんなわけで、夏休み前哨戦となる海の日を含む連休は子供の言う通りの日々を送ってみたわけですが……。これがまたすごいパワーでへとへとになるわけですよ。科学博物館の特別展に「深海」が来たというので三兄弟の意見が一致し「連れていけ」となるわけです。あっ、はい。無理のできない家内とも手分けをしつつ、うだる暑さと激混みの中を見物に向かうんですけど、入場するなり子供たち大興奮。宇宙好きの長男も博物館好きの次男も電車・蒸気機関車好きの三男も一致団結してあっちこっちずっと見てる。めちゃ混んでるところで、探査船「ちきゅう」とか、謎の深海魚デメニギスとか、ダイオウイカとか各種サメとか、東日本大震災の地震の状況解明までの動画とか、心ゆくまで観覧した挙句に「明日も来たい」。深い青色のお土産袋に戦利品を詰めて、勇躍帰路を急ぐ子供たちの背中を見て、おい、これ明日も来るのかと、げんなりすることぐらいは許されるのでしょうか。
思い返せば、自分の人生でも自宅を空けがちな親のことを思いながら、買ってもらったポケコン相手に背中を丸めてプログラムを打ち込んだり、原始的なゲーム一個だけ遊べるゲームウォッチでピコピコ遊ぶしかなかった小学校時代の記憶が蘇ります。
親である私が子供に「連れて行かれる」んですよ、未知なる興味分野に
寂しいと思ったことはなかったけど、確かに私の人生において欠かせない経験をし、生きていくための関心領域と志向が固まった時代であったことは間違いありません。あのときもっといろんなモノを見ていたら、あるいは、何かを広く経験する機会があったならば、自分の人生はもっと違った、彩の深いものになっていたのでしょうか。私の両親も両親なりに時間を使ってくれていたんだろうけど、やっぱり物心がつく中学生になるころには興味分野がはっきり固まってしまっていたのは自覚があるのです。
そんな私の幼少期には一グラムの関心も持たなかった、青く暗い深海の世界が広がる図鑑や動画を興味深げに凝視する三兄弟を見ていると、この子たちの興味の赴くままにどこかに連れて行っているというよりは、振り回され上等ながらも自分自身が子供たちのお陰でいままで興味も持てなかった世界に連れて行ってもらっているような気分になります。ほんと、親である私が子供に「連れて行かれる」んですよ、未知なる興味分野に。