きょう7月28日は、去る3月14日に72歳で亡くなった俳優の渡瀬恒彦の誕生日である。島根県に生まれた渡瀬は、幼少期に淡路島に渡り、そこで育った。早稲田大学を除籍後、就職したころにはすでに3歳上の兄・渡哲也は日活所属のスターとなっていた。渡瀬自身は芸能界にはまったく興味はなかったが、のちの東映社長・岡田茂の熱烈な勧誘を受け、映画界入りする。
同じ業界に入ったとはいえ、渡瀬は兄とは違う道を歩み、流れ者や殺人鬼、やくざなど血気盛んなアウトローを体当たりで演じた。中島貞夫監督の映画『狂った野獣』(1976年)では、バスを暴走させるシーンのために、わずか1週間で大型免許を取得する。そのラスト、バスが横転する場面では、監督がスタントマンを用意していたにもかかわらず、「俺はこれをやるために免許を取ったんだから」と自ら演じ切ったという。アクションシーンにも果敢に挑む姿勢はときに災いし、深作欣二監督の『北陸代理戦争』(1977年)の撮影では、雪原でジープを運転中に事故を起こし、大けがを負って降板するという苦い経験も味わった。だが、映画評論家の野村正昭は、これら作品で「全力でぶつかり、危険なスタントも辞さず、修羅場を潜り抜けてきたからこそ」、後年の映画などでの「肩の力を抜いた役柄にも、移行できたのではないだろうか」と書いている(『キネマ旬報』2017年5月下旬号)。
渡瀬は、渡哲也が直腸がんなどを患ってから、自分でも健康に気を配るようになったという(『週刊文春』2017年3月30日号)。だが、彼もまたがんに倒れた。闘病中に出演したドラマ『アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった』では末期がんに侵された犯人に扮したが、この役は彼が自ら望んだものであった。同作のクランクインに際しては、「みなさんご存知だと思いますが、私はがんです。それでもこの役を全うしたい」とあいさつしている(『キネマ旬報』前掲号)。その言葉どおり役を全うした渡瀬は、撮影を終えてまもなく、放送を見ることなく亡くなった。