以前に本連載で書いたが、筆者が渡瀬恒彦を好きになったのは小学生の頃。八八年の映画『敦煌』で演じた西夏王・李元昊のあまりの凜々しさに惚れ込んだのが始まりだった。
以来、新作・旧作、映画・テレビドラマを問わず、渡瀬の出演作品をひたすら追いかけていった。だが特に新作は、観ていて脱力してしまうような作品も少なからずあった。それでもそこはファンとしての性。とにかく「渡瀬恒彦」の名前がクレジットされていれば、何があっても観ていた。
今回取り上げる『一杯のかけそば』も、渡瀬が出なければ恐らく観ることはなかった。
毎年大晦日の夜遅くになると、閉店間際の蕎麦屋に貧しい母子三人連れの客がやってきて、かけそばを一杯だけ頼み、三人でそれを分け合う。そんな母子と蕎麦屋の心温まる交流の話が八〇年代末、突如「泣ける美談」として大ブームを巻き起こした。ブームは短期間で収束し、そして、多くの人の記憶から消えていた。が、九二年になぜか突然映画化されることになる。
「今さら」感が強い上に、筆者からすると全く興味のない類の物語だ。だが、劇場に観に行かざるをえなかった。それは、蕎麦屋の主人役で渡瀬が主演していたからだ。ポスターには、蕎麦屋の衣装に身を包み、ほのぼのとした優しい笑顔を浮かべる渡瀬が大きく写っていた。憧れていた西夏王からは随分と遠い姿に、「頼むから仕事を選んでくれ――」そう思いたくもなった。
それでも筆者が追い続けたのは、どんな作品でも渡瀬は必ず何かしら魅力的な芝居を見せてくれるからに他ならない。本作でも、そうだった。黙々と厨房で仕事する渡瀬には、職人ならではのダンディズムがあふれていた。「狂犬」時代と変わらない渡瀬の眼光の鋭さが職人としての技量に説得力を与えているため、丼を拭く姿、包丁の刃を確認する姿――動きの全てが様になっていて、ファンとしては心をくすぐられっ放しになる。
何より素敵なのは、渡瀬の声だ。この蕎麦職人は不器用な男で、どんな時も必要最低限のことしか言わない。「ごくろうさん、気ぃつけて」「見りゃ分かるよ」「やめとけ、かえって気ぃ使う」「そんなもんだ」――その口から放たれるセリフは、いつも短い。だが、渡瀬ならではの低音ボイスの響きには、厳しくも優しい潤いが満ちていた。それが寡黙な背中の放つ色気とあいまって、心の内に秘めている感情が静かに伝わってくることに。
一つ間違うと押しつけがましい「お涙頂戴」に陥りかねない物語だが、渡瀬のダンディさがそれを押し留めていた。そして結果として、渡瀬のことがますます好きになった。