NHK大河ドラマ『真田丸』がなかなか好調だ。目先の笑いを欲しがりがちな三谷幸喜脚本の悪癖と一部の女優の浮いた芝居は目につくものの、作り手側の歴史と向き合う姿勢、そして俳優陣の奮闘は、近年劣化の一途を辿ってきた大河にあって出色といえる。
中でも素晴らしいのは草刈正雄だ。飄々として食えない雰囲気を漂わせつつ締める所ではビシッと締める様はカッコ良く、策士・真田昌幸の知謀に説得力を与えている。
草刈は日本人離れした容姿の持ち主だが、これまでも時代劇で歴史上の人物を演じる際、意外とハマってきた。その端正な面立ちが侍としての凛々しさを際立たせるため、「この人物、こんな感じだったらいいなあ」という憧憬が観る側に掻き立てられるのだ。
今回取り上げる『沖田総司』では、若き日の草刈が新選組隊士・沖田総司を演じている。
沖田といえば「病弱の天才剣士」で知られる。そのため、通常はどこか蒼ざめた、「生」を感じさせないような人物として演じられることが多い。
が、本作の草刈は違う。
冒頭から長髪を靡(なび)かせて野山を駆け巡りながら登場するような、浅黒い肌の野生児なのである。そんな沖田だから、どこか人懐っこい雰囲気を放つ。加えて土方を高橋幸治、近藤を米倉斉加年と、ベテラン役者が演じていることも手伝い、本作の沖田は「やんちゃな末っ子の弟」的な、可愛げのある青年として映る。
中でも物語前半の多摩時代、貧しくて汲々としているにもかかわらず仕官の話が来ても「好きなんですよ、ここが」「追い出そうとしても、そう出ていくものではありません」と断ってしまう場面で見せる笑顔には、こちらまで微笑ましい気分にさせられた。
京都で新選組を結成して三人で芹沢鴨暗殺を企む物語中盤のシーンも印象的だ。
通常、こうした謀議は薄暗い密室で行われる。が、本作ではそうではない。青空の下、川原で寝転がって暗殺に向けての話を進めていく。そして、沖田は嬉しそうに空を仰いで、こうつぶやく。「懐かしいなあ。多摩の川原で喧嘩の相談してるみたいだ」本作での沖田の周りでは、いつも「生」が煌(きら)めいているのだ。しかも、若き草刈の放つ爽やかな生命感が「いつもと違う沖田」像の違和感を忘れさせてくれるため、劇中の青春を共に過ごしているような感覚になってくる。そしてそのために、後半に訪れる彼らの悲劇がより切なく浮き上がることになる。
草刈正雄を見ていると、「和」の雰囲気を持つ役者だけが時代劇に適しているのではないことを思い知らされ、時代劇という表現の幅広さを改めて気付かせてくれる。