1986年(120分)/東映/3080円(税込)

 脚本家・高田宏治氏のインタビュー本の執筆が大詰めだ。

 時代劇、任侠映画、喜劇、実録やくざ映画、文芸映画、角川大作映画、空手映画――と、約半世紀にわたり多くの娯楽ジャンルを高田は手がけてきた。その中で、自身が集大成的作品と位置付けているのが、今回取り上げる『極道の妻(おんな)たち』だった。

 大ヒットして後にシリーズ化もされ、一九九〇年代の東映の屋台骨を支えることになる作品でもあるので、自身がそのような捉え方をするのもたしかに納得できる。が、「集大成」としているのは、それだけが理由ではない。

ADVERTISEMENT

 脚本家の技術的な部分でも、これまで蓄積してきた全てが詰まっているのである。

 まずは、女性のドラマ。『妖艶毒婦伝 般若のお百』の回で述べたように、高田は東映京都の脚本家では珍しいほど、女性を描くのを得意としていた。そして、本作はタイトルの通り、女性が主人公。組長である夫(佐藤慶)が収監され、代わりに組を束ねることになった妻・環(岩下志麻)が主人公なのだが、高田はそこにもう一人の人物を創作した。それは、主人公の妹・真琴(かたせ梨乃)だ。

 貧しい町工場を営む父(大坂志郎)を支える純朴な真琴が武闘派やくざの杉田(世良公則)に惚れられたことで人生が一変。杉田と結婚して彼女もまた「極妻」となる。そして、杉田が環の組と抗争を始めたため、姉妹もまた引き裂かれる。

 厳然かつ凜とした姉と波乱万丈の妹。対極的な人生を歩む二人の激しい相克の様は、まさに「妻たち」のドラマ。高田脚本の真骨頂といえる。

 また、「妻たち」ということは、それぞれに夫がいる。物語は冒頭から数多くの「妻」の諸相が交錯しており、それに夫も加えると登場人物は膨大になる。それでも個々のキャラクターを埋没させることなく描ききれている。それは、『賞金稼ぎ』の回で述べた、「役者が乗って演じられる芝居場」を主要人物の数だけ用意しているからだ。ここでは、東映京都で継承されてきた技術を発揮している。

 何より驚くのは、この物語を高田は『まむしの兄弟』と同じく、事前に構成を固めないで執筆しているのである。「まむし」なら二人だからまだわかるが、本作は複雑な人間模様と抗争関係で繰り広げられる群像劇。これを、ラストを定めずに人物たちを動かすにつれて物語を進めていったというのである。

 そして、ラストシーン。勝利したはずが突き放される、この寂寥感は若手時代の『忍者狩り』『十兵衛暗殺剣』から連なる高田脚本の特徴。

 まさに、集大成の一本だ。