前回も書いたが、大河ドラマ『真田丸』で真田昌幸を演じる草刈正雄が、とにかくカッコいい。頼りがいあるヒロイックさを漂わせつつも、腹の底の見えない飄々とした捉えどころのなさも漂わせる。そして何より、画面に登場すれば瞬時にその場を完全に制圧してしまう大物感を放つ。
……と書いて気づいたことがある。そんな草刈の様は、約三十年前に草刈が真田幸村を演じたNHK時代劇『真田太平記』で父・昌幸に扮した丹波哲郎の、役者としての特徴そのものではないか、と。
筆者はかねがね、丹波哲郎の後継者たる役者の不在を嘆いているのだが、ついにその候補が現れたように思えた。となると、草刈には今後も丹波が演じてきたような大物役を次々とモノにしていってほしい。
今回取り上げる『二百三高地』で丹波が演じた児玉源太郎も、そんな役柄の一つだ。これまでは丹波以外は考えられないほどのハマリ役だった。
舞台は日露戦争の激戦の地・旅順。完全武装のトーチカを無数に配備したロシア軍の要塞を前に、乃木希典(仲代達矢)率いる陸軍は攻めあぐね戦死者の数を重ねていた。
総参謀長として後方から戦況を見守っていた児玉は痺れを切らし、自ら前線に赴いて乃木に代わって作戦を立案して指揮を執ろうとする。
終盤、乃木と児玉は作戦遂行の方針をめぐり激しく対立するのだが、ここでの両名優のぶつかり合いは圧巻だった。
「一度くらい儂(わし)の本意を叶えてくれても良いじゃろうが」自ら敵地へ斬り込むことを志願する乃木に対し、児玉は受け付けない。そして、静かに言い放つ。「黙って儂の投げる石になってくれんかの」睨みつける仲代の鋭い眼光にも微動だにしない丹波の落ち着きが、ジワジワと空気を支配する児玉の迫力を表す。沈黙を破るかのように仲代は叫ぶ。「児玉!儂ァ、木石じゃないぞ!」大迫力の叫び声だった。ここで丹波は、初めて激した口調で返す。「乃木!貴様の苦衷まで斟酌(しんしゃく)している暇など儂にはない!儂が考えているのはな!ただこの戦争に勝つこと!それだけじゃ!」その言葉には仲代の絶叫をも弾き返す強さがあった。
この場面、最終的に乃木に返す言葉はなくなる。そのため、誰の目から見ても児玉が乃木を圧していると分かる芝居ができていないと、観る側に説得力は生まれない。しかも相手は仲代達矢。並大抵の役者では彼の放つ場への圧迫感に伍することはできない。だからこその丹波哲郎だ。「黙り込む仲代」という画を納得させてくれるだけの揺るがない大物感が、丹波にはあった。
今その域に、草刈正雄が達しようとしているのである。