イトマン事件が起きても「一大事」という感覚はなし
33歳になって出家した私は、仏の教えのもと、崩壊していた家庭でのさまざまな経験を人生の糧として受け止めることができ、心の平穏を得るに至った。そして父に似た破天荒な金銭感覚も、いまでは世間に通じるところに落ち着いている。しかしそう思えるまでの過程は長く大変だった。
動かした金額は兆を超えると父は言う。その経済観念も破天荒である。しかしまたその一方で、父はお金に執着がないと言う。昔と比べてすっからかんになったいま、それは本当にそうなのだと思う。
私が高校3年のときにイトマン事件の当事者として父が有名になった。それ以前から不穏な空気があったため、一大事という感覚はなかったのだが、新聞の一面にでかでかと父の名前と写真が載せられ、またテレビでも毎日のようにニュースになると、周りが騒がしくなった。
父が子どもたちに見せた“優しい忖度”
事件の首謀者として悪名を馳せるということに驚くような私たち家族ではなかったが、やはり世間の目は怖かった。
生活は別であっても、父の仕事の雰囲気というものは何となく解っている。世間的にはよろしくない方面での付き合いがあることも解っている。しかし私たち家族が持つ父の印象は、どこまでも「親方」として、もしくは客人をエスコートするホストとしてのものだった。私はそんな父を誇らしく思っていたし大好きだった。弱いものいじめをするような卑劣な人間を嫌っていたし、困っている人に手を差し伸べる正義感の強い父だと知っているので、父が悪いことをしたという実感はなかった。
私が大好きな、楽しく優しい記憶がある。
幼稚園年長組の運動会演目で、子ども対お父さんの綱引きがあった。「パーンッ」と空砲の合図とともに応援の声が響き渡り、私たち子どもは一生懸命綱を引くも「オーエスッ! オーエスッ!」という一声ごとにずるずるとお父さん側に引っ張られていく一方だった。
すると父がひとり、お父さんの列を離れ、子ども側の先頭に立って一緒に綱を引き出した。その突然のパフォーマンスに場は大いに盛り上がり、お父さん側全体の優しい忖度で子どもたちが勝つという楽しく平和な結果となった。