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「パパ、調子乗りやで。それだけで人生来たんやで」

 怒りも悲しみも、心が破裂するほどに経験したが、私は父が大好きなので許してしまうのだろう。大好きな理由は、それがどれだけ無茶苦茶であろうと、父という姿をそのままに見せてくれるからである。「なんで?」と質問すれば必ず答えてくれるからだ。

 男稼業の父は、私が成長するより早く、どんどんと厳しい雰囲気に変わっていった。親子の会話も、少なくなるというより、話せる雰囲気ではなかった。いわゆる「大人のかくれんぼ」に入る直前などは、父の周りがピリピリしていて近寄ることも憚られた(命を狙われていたことなど、家族は露ほども知らなかった)。そんな時期は家族全員、言葉にならない不安と寂しさを感じていたが、基本的な父のイメージは綱引きの父である。父は本来、明るく朗らかで、お調子者なのだ。

「パパ、調子乗りやで。それだけで人生来たんやで」

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 初の自叙伝(『海峡に立つ』小学館)を刊行する際、編集の過程で私があれこれと父にインタビューをしているなかで父がそう言ったとき、ある意味当たっていると私は大笑いした。

『悪漢の流儀』より

いまでも「侠になろう」としている

 話上手な父は、興に乗るとそのお調子者ぶりが発揮され、笑いも涙も怒りも感情すべてを交えて語る。

「パパ、遊び人やったし、女追っかけてどこでも行ったがな。もてへんのに、当たり前やで」

 と、ゲラゲラ笑わせてくれる父である。私の手元に、父のいわゆる獄中日記というものがあるが、このなかに「男になる、侠になることが、人間になる、人間になれると思い込んできた」という一文がある。

「思い込んできた」と過去形であるからには、そうではなかったという反省の思いもある程度綴られてはいるのだが、喉元過ぎれば何とかで、父はやはり、いまでも「侠になろう」としている。

◆◆◆

 政治家、官僚、財界、暴力団、右翼、在日――。表と裏の世界を隔てる塀の上を歩き続け、時には“悪漢”として時代を動かしてきた許永中。しかし実の娘の口から語られたその姿は意外なものであった。

(協力・宝島社編集部)

悪漢(ワル)の流儀

許 永中

宝島社

2020年2月14日 発売