許永中は「戦後最大の経済事件」の主人公として名を馳せた男である。
在日韓国人実業家だった許氏の存在が世に知られたきっかけは、1991年のイトマン事件だ。約3000億円が闇に消えた戦後最大の経済事件で、許永中は総合商社イトマンとの絵画取引をめぐる特別背任等の容疑で逮捕された。企業を操る“フィクサー”が実在していたことが同事件で明るみに出たと言える。2001年にイトマン事件と石橋産業事件で実刑判決を受けた許氏は2005年に収監される。2012年には母国での服役を希望し、韓国の刑務所へ移送された。2013年9月に仮釈放となり、翌年9月に刑期満了を迎えた。
「闇の帝王」の父親としての顔
その許長中が今年2月、波乱万丈の半生と人生哲学を綴った著書『悪漢の流儀』(宝島社)を上梓した。
同書の読みどころとなっているのが、許栄中の家族について明かされている部分である。いまはソウルに暮らす許永中には、日本に残した家族たちがいる。「闇の帝王」「バブルの怪人」と呼ばれ続けた男にも、父親としての顔があったのだ。
本稿では『悪漢の流儀』を刊行した宝島社編集部の協力を得て、許永中の長女である英恵さんが同書に寄せた手記「父と私」からの一節を紹介しよう。
◆◆◆
私は父のことをあまり知らない。生活をともにしてこなかったことに加え、父は仕事のことを話さないので、父が何を生業にしているのか知らなかった。
私が幼稚園の頃は家にいた記憶があるが、小学校では1週間に1回、週末に帰るだけ。中学校では年に1回、正月に。高校生になる頃にはもう帰ってこなかった。父は、父親ではなく男として生きていたので、母が嫌がり、そのうち家族として受け入れなくなったということもあった。
18歳で与えられた2枚のゴールドカード
父には欠如していることがひとつある。それは教育倫理観だ。私はこれをつくづく思う。「俺は悪漢になる」という心意気の父親などそういない。子どもの教育について本人は考えていたというが、私たちにすればただの自分勝手で、その部分については論外だといまでも思う。
金銭感覚など、無茶苦茶であった。私は18歳になると同時にゴールドのクレジットカードを2枚与えられた。これは子どもたちのなかでも私だけであった。その理由がこれまた特殊なのだが、その頃父がよく観てもらっていた韓国の僧侶が「そうしなさい、それが将来この子の為になる」と言ったからというものだった。家庭が崩壊していて、複雑な心理状態で混乱している、ストレスいっぱいの多感な娘にそんなものを与えたら、どうなるかは想像に難くない。