いまから89年前のきょう、1928(昭和3)年8月2日、オランダ・アムステルダムでの第9回オリンピックの陸上・女子800メートル決勝で、人見絹枝が2位(タイムは2分17秒6)となり、日本の女子選手では初のオリンピックメダリストとなった。これに続いて行なわれた三段跳び決勝では、織田幹雄が15メートル21を出して見事優勝し、日本選手初の金メダリストとなる。
人見は7月30日に行なわれた100メートル準決勝で4着に終わり、決勝に進出できなかった。800メートルには、このままでは日本に帰れないと、彼女自ら懇願して急遽エントリーした。第3コーナーから猛烈なスパートをかけた人見は、最後の直線100メートルで、先頭のリナ・ラトケ(ドイツ)を追い詰めるも、惜しくも胸一つの差で優勝を逃した。このとき、あまりに過酷なレースに、全選手がゴールインと同時に倒れ込む。人見は、三段跳びに出場していた織田幹雄と南部忠平に助け起こされた。彼らは予選を1位、2位で通過して決勝を待っているところだった。
人見が表彰式で声をあげて泣くのを見届け、織田と南部は張り切った。南部はなかなか記録が伸びず、結局4位に終わったが、織田は先述のとおり優勝する。しかし表彰式で流れた「君が代」は、なぜか「さざれ石の……」のところから始まった。中央のポールに掲げる日の丸も用意がなく、南部がウィニングラン用に準備していた特大サイズのものを提供し、ようやく揚げられるというありさまだった。このあと、控室に戻ると、駐オランダ公使の広田弘毅(のちの首相)が訪ねてきて、全員で「君が代」を歌うことになったという。だが、すでにみな泣いていて、最後まで歌うことができなかった(文藝春秋編『「文藝春秋」にみるスポーツ昭和史 第一巻』文藝春秋)。
なお、人見絹枝はこの3年後の同日、1931年8月2日に24歳の若さで亡くなっている。