「数十年に一人の打てる捕手」だった男

「やっぱ阿部だな」「あいつが打たんと始まらん」

 先週、長良川球場から岐阜駅へ向かう帰りのバス車内では至る所でそんな会話が聞こえてきた。その日の巨人は1対2で首位カープに惜敗。「4番ファースト阿部」は3打数ノーヒットだった。東京ドーム帰りの丸ノ内線車内でも、岐阜のシャトルバス内でも同じような会話が交わされているリアル。38歳になっても阿部慎之助は、球場帰りの巨人ファンに「やっぱ阿部が打たないと……」と言われる存在なのである。

「数十年に1人の打てる捕手」だった阿部慎之助 ©文藝春秋

 この偉大なる背番号10のキャリアはそのまま21世紀の巨人の歴史そのものだ。なにせプロデビューした2001年はまだ長嶋監督が指揮を執り、高橋由伸、松井秀喜、清原和博の超豪華クリーンナップがいた時代。「ヤだねったら、ヤだね」なんつって、唐突に当時流行った氷川きよしのヒット曲を口ずさんだところで誰も元ネタが分からないくらい昔の話だ。

ADVERTISEMENT

 そこから10年連続開幕マスクを被り、2010年には44本塁打をかっ飛ばし、2012年は前年までの小笠原道大(現中日2軍監督)とラミレス(現DeNA監督)中心の編成から、当時33歳の「4番キャッチャー阿部」のチームへと大きく変貌。巨人五冠達成の原動力となり、打率.340、27本、104打点の好成績でMVP、首位打者、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得。原監督とともに正力松太郎賞、内海哲也とは最優秀バッテリー賞にも選出された。ちなみに“宅配屋シンちゃん”で週刊誌を賑わせたのもこの年だ…じゃなくて、80年以上の日本球界の歴史で捕手のシーズン40本塁打以上は野村克也、田淵幸一、そして阿部の3人だけ。ってことは阿部慎之助は「数十年に1人の打てる捕手」だったのである。

「4番打者」としても「一塁手」としても物足りない現実

 そりゃあチームもファンもその幻影を引きずるよ。いまだに巨人のど真ん中にいる背番号10の姿はとても誇らしく、少し寂しい。なぜなら、38歳の阿部に4番を任せる……それは今の内海哲也や杉内俊哉にエースを託すような無茶振りだからだ。93年に導入され2006年まで14年間続いた希望入団枠制度のドラフトで、巨人を逆指名した選手は延べ22名。その内、現在もチームに在籍するのは00年1位逆指名の阿部と03年自由枠の内海のみである。誰だって歳は取る。時計の針は容赦なく進んでいく。

 原巨人V3の立役者で一時代を築いた内海や杉内に代わり、菅野智之や田口麗斗といった20代の選手が柱となりつつある投手陣とは対照的な高齢化が進む野手事情。誤解を恐れず書けば、あの頃は「4番キャッチャー阿部」が強い巨人の顔だったのに、今は「4番ファースト阿部」が世代交代の遅れるチームの象徴になってしまっている。

 例えば、今季の阿部の打撃成績は81試合、打率.245、11本、46打点、OPS.711という数字が並んでいるが、セ・リーグ各球団の4番打者、例えば76打点でリーグトップの鈴木誠也(広島)やすでに28発を放ちキング争いを独走するゲレーロ(中日)と比較すると物足りないし、攻撃力が求められる一塁手として見ても、打撃タイトル争いに絡むロペス(DeNA)やエルドレッド(広島)らと比べると主砲としての迫力不足は否めない。正直、今の背番号10は「4番打者」としても、「一塁手」としても、球界トップレベルのスラッガーたちとは大きな力の差があると認めざるを得ないだろう。