昨年12月21日に、侍ジャパンU-12 代表監督を務めている仁志敏久氏を招いてのイベント「みらいの侍in島根」が、島根県大田(おおだ)市で開催された。
「みらいの侍」は、2019年にスタートしたプロジェクト。本格的な技術指導に加えて、従来の野球教室では踏み込まれることが少なかった「精神面の成長」を促す活動を行うことで、将来的に日本代表入りする選手を生み出す目的で発足された。
昨年8月には神奈川県鎌倉市で活動を実施。同市内の少年野球チームに所属する選手を対象に、自身の課題を分析するミーティングを行った上での練習試合、試合後に実戦で浮かび上がった課題を振り返る時間を設けるなど、今までとは一味も二味も異なる活動を展開した。
中学生に指導させた仁志氏の狙いとは
今回のイベントのメインも「野球教室」。しかし、仁志氏の直接的な技術指導にウエイトを割くのではなく、中学生が小学生に野球の技術を教える形式で行われた。
講師役を務めたのは、大田市内にある大田市立第一中、大田市立第二中、大田市立大田西中の中学3校の野球部員。地元の少年野球5チームに所属する小学生約100人を招き、同市内にある大田市民球場で、打撃、守備、走塁の練習法や技術を伝えていった。
当初は各中学別に担当を振り分ける予定だったが、「普段とは異なる人間関係の中で、幅広くコミュニケーションをとってほしい」という仁志氏の発案により、3校の部員を混成した上で、打撃、守備、走塁の3班に分ける方式を採用した。
午前中は隣接する大田市総合体育館で、各班に分かれての野球教室の打ち合わせを実施。開始直後は他校の選手に遠慮が見られる者も見受けられたが、自己紹介と合わせて一発ギャグを披露する選手もいるなど、すぐに場は和み、積極的に議論が進められていった。
午後は大田市民球場に移動し、野球教室がスタート。小学生への技術指導に時間を割く班、一緒にプレーしながら手本を示していく班など、3班それぞれの個性が窺える内容となった。
球場での野球教室終了後は、体育館に戻り、野球教室の振り返りを実施。上手くいった点、改善点を中心に、再び活発な議論を交わした。
小・中学生は活躍も……大田市内の高校が苦戦している理由
選手たちからは「想定していた通りに時間が使えない場面があった」「自分の考えていることを伝えるのは、想像以上に難しかった」など、反省点が多く聞かれた。これに関して仁志氏は「中学生たちにとっては初めての野球教室。上手くいかなくて当然です。それよりも、成功させるためにはどうしたらいいのかを考える、結果を基にもっとよくするにはどうすべきかを考える。この過程が重要なんです」と、計画、実行、反省のサイクルを経ることが、選手たちの成長に繋がることを改めて説明した。
全行程終了後、侍ジャパンのレプリカユニフォームが参加者全員に手渡された。ほぼ全ての選手が、仁志氏にサインをお願いし、目を輝かせながら「JAPAN」のユニフォームを見つめていた。その横顔からも、今回の活動の意義が強く感じられた。
球場での野球教室の際に、小・中学生のプレーを見た関係者たちからは「おお、レベル高いですねえ」と、技術面への称賛の言葉が飛んでいた。
実は大田市は、島根県内でもとりわけ野球熱の高い地域。大田市内の少年野球チームが度々全国大会に出場、中学生年代では、2018年に大田二中が全日本少年春季軟式野球大会(中学軟式の春の全国大会)で準優勝を果たすなど、県内だけに止まらない勢いを見せている。この野球熱の高さも、開催地決定を後押しする要因となった。
市内の小・中学生が活躍しているのであれば、同じ市内にある高校も甲子園出場を争う位置にいるのではないか……。そう思うのが自然だが、苦戦が続いているのが現状だ。
大田高は、春夏通算6度の甲子園出場経験を持つものの、1987年春を最後に甲子園から遠ざかっている。2005年の「平成の大合併」で大田市となった旧・邇摩郡にある邇摩高も1991年春が最後の出場。私立校の台頭などの要因もあるが、大田市内の中学生が市外に流出しているという事情が大きく関係している。