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異色すぎる肩書き「ミュージカル俳優兼独立リーガー」の誕生から引退まで

文春野球コラム ウィンターリーグ2019-2020

2020/02/29

「お久しぶりです! お元気でしたか?」

 ひとりの青年が笑顔で出迎えてくれた。心地よく耳の奥に響く、ハリのある声は、初めて顔を合わせた2年前と何ら変わっていなかった。

異色の肩書きを持つ独立リーガー

 青年の名は和田一詩(かずし)という。四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスで、1シーズンをプレーした“元・独立リーガー”だ。徳島に入団したのは、2018年。昨秋のドラフトで西武から8位指名を受けた岸潤一郎らが同期にあたる。入団当時の“最注目”は間違いなく岸だったが、和田に注がれる熱視線も決して負けていなかった。「現役のミュージカル俳優」という、和田の“異色すぎる”肩書きがその要因だ。

 高校在学中にミュージカル俳優を志し、難関として名高い劇団四季のオーディションを受験。見事突破し、高校卒業と同時にミュージカル俳優のキャリアをスタートさせた。

 故・浅利慶太氏を師事し、約2年間劇団四季に所属。2015年からはフリーに転身し、舞台出演、演技指導、プロデュースなどを手掛けていった。

 役者としての地位を築きつつあったが、野球に打ち込んでいた中学時代の思い出が心の奥底で燻り続けていた。監督の方針に反発し、練習方法の改善などを訴えながらも、お互いの溝は広がり続け、試合出場もままならなくなったという苦い経験だ。

 稽古の合間に、先輩俳優とキャッチボールをしたことから、野球への思いが再燃、目を背け続けてきた「野球」に再び向き合おうと決意した。その先輩の勧めもあり、巨人の入団テスト受験を決意。50m走は8秒5、遠投80m未満のスタートから、数か月の練習で爆発的に成長。「50m走6秒3以内、遠投95m以上」と定められた一次テストの基準をクリアし、二次の技術テストに駒を進めた。

 あえなく二次テストで不合格となったが、その後に受験した四国アイランドリーグplusの入団トライアウトを突破。こうして「ミュージカル俳優兼独立リーガー」の唯一無二の肩書きを持つ、ひとりの投手が誕生したのだ。

和田一詩さん ©井上幸太

「苦しかった」現役生活

 独立リーグ挑戦にあたり、和田は「NPB球団からのドラフト指名」だけでなく、もうひとつの大きな目標を掲げた。それが「野球とミュージカルの架け橋となる」ことだ。当時、和田はこう意気込みを語っていた。

「ミュージカル俳優の肩書きを持つ自分が野球で活躍することで、野球ファンの方がミュージカルを知る、劇場に足を運ぶきっかけになるかもしれない。その逆で、自分の舞台を見てくださった方が『舞台で見た和田が野球をやっているのか。球場に行ってみよう』となる可能性もある。僕自身、野球とミュージカルから夢をもらった人間です。この2つ“両方”に全力で挑戦する姿から、何かを感じてくれたら嬉しい」

 入団会見では、舞台仕込みの歌声を披露し、シーズン開幕後も試合前の国歌斉唱を担当するなど、自身の特性を随所で生かしてみせた。その一方で、プレーヤーとしては苦しい日々が続いた。

 中学で一度野球に区切りを付けてから約8年、本格的にプレーをすることがなかった。そのブランクを早く埋めようとしたばかりに、投球腕である右腕の上腕部を故障。前期シーズンをほとんど棒に振った。後期シーズンの登板に照準を定め、懸命なリハビリとトレーニングを続けた結果、故障は癒えたが、公式戦のマウンドに上がることなく、和田の戦いは終わった。和田が振り返る。

「自分の経歴に興味を持ってもらえたり、期待してくれる方もいる一方で、冷ややかな目もありました。そこから生まれた『早く結果を出さないといけない』という焦り、はやる気持ちに体がついていけませんでした。ブランクがあるのに、『やろう、やろう』とばかり考えて、体が耐えられなくなってしまった。ようやく体も慣れてきたタイミングでシーズンが終わった感覚でした」