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結果に意識が向きすぎると僕の場合はダメ

「決して自分を見失ったわけじゃない。プレッシャーと言うほど僕は繊細でもない。だけど、想像以上に『東京』という存在は大きかったんだと理解しています。結果に意識が向きすぎると僕の場合はダメなことが多い。レース前からいろいろと騒がれることにも疲れました」

 一方で、こんなことも語っていた。

「良くも悪くも人に対して諦めがつきました。例えば、メディアに対して、これまでは自分が話したことを、なんでちゃんと伝えてくれないんだろう、とストレスに感じる部分があったんです。でも、伝わらない人には、どんなに言葉を重ねても伝わらない。自分がコントロールできないことを考えるのは無意味だと気づいたんです」

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選手たちの雰囲気に飲み込まれたMGC

 2位以内に入れば東京五輪代表に内定する昨年9月のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で、大迫は今度は他の選手たちの雰囲気に飲み込まれた。

 序盤から設楽悠太が飛び出す展開のなか、2位集団の選手は、大迫の動きを伺っていた。

「普通のレースだと1人が前に出ると、すぐに後を追う選手がいるものなんですよ。だけどあのときは“大迫はどうするんだ?”ってみんなが僕のことを探っていて。その間がすごく怖かった」

 大迫が動かず、2位の選手との距離が開けば、代表内定のチャンスは遠くなる。その状況に大迫は焦った。

「なんで誰も動かないんだ、みんなもっと焦ろうよ!って思ってしまって。誰かが出るたびに反応して、自分のレースができなかったことで、最後の5キロが苦しくなってしまった」

東京での2度の“敗北”が大迫を強くした

 だが「あそこまでちゃんと負けないと、どうしても変わらないと思うんです。負けたことによって、得たものは大きかったですよ」と本人が言うように、東京での2度の敗北は、大迫を強くした。

©文藝春秋

 今回の東京マラソン、大迫は「不安」に打ち勝った。23km地点からがその象徴だった。一時は2位集団に離されたものの、焦らなかった。以前から大迫はレース中のポジショニングを「2位集団の中盤から後方にいて、誰かが動いたときでも慌てることなく、一歩引いて、冷静に対応できるようにするのが理想。みんなが200メートルかけて4秒上げるなら、僕は1キロかけて4秒あげればいいという考えで走っています」と語っていた。レース後のインタビューでは「もうダメかなと思った」と漏らしたが、その不安やプレッシャーに飲み込まれることなく、自分のペースを貫き通した。「不安というのは、自分の中から生まれた不確かな偶像」という自らの言葉を信じて。

©AFLO

 不安と戦い、自分らしく走りきった結果、生まれた日本記録だった。

「みんなが褒めてくれるときほど、僕はできなかったことに目を向けて、気持ちのバランスをとっているんです」。そう語っていた大迫は、きっと今回のレースでも自らの課題を見つけ、さらに強くなっていくのだろう。

 日本代表の最後のひと枠は、3月8日に行われるびわ湖毎日マラソンで決まる。気が早いと言われるかもしれないが、東京五輪でさらに強さに磨きをかけた大迫を見たい。

走って、悩んで、見つけたこと。

傑, 大迫

文藝春秋

2019年8月30日 発売

※3月6日、台湾で台湾語版が発売