話し言葉はより良い人間関係を作り上げるための彩りです
もちろん、気にしている相手に対して暴言を吐いてはいけないというのは一般的な社会のマナーなのであって、じゃあ親であるお前は日々適切な言葉遣いをして暮らしているのかといわれると筆を折って猛省するほかありません。ただ、相手を気遣う言葉を使うのはその場をうまくやり過ごそうという話ではなくて、相手にこちらは好意を持っていますよ、大事にしていますよという意味をそれと言わずに伝えるという役割も果たしているわけで、別に好意を持っていると伝えなくてもよい相手には「ババア死ね」ぐらいのことはみな平気で思っているし、場合によっては言ったり書いたりします。面と向かって言うのは最終局面ですけれども、それでも交渉がこじれたとか何かあれば言うこともあるでしょう。
話し言葉はより良い人間関係を作り上げるための彩りです。礼節は弱者の武器と言われるのと同様、相手に大事にされているか、良く思われているのかを感じ取るうえでも大事なのですが、往々にして、人間は期待と現実が大きく乖離することがあります。裸の王様と子供に指摘されるのと同様に、大人同士の儀礼や形式が実態の指摘とともに崩壊することって必要なんだとも言えます。
そう考えると、子供に礼節を教えることの程度問題のむつかしさというのを強く感じることがあって、「うまい塩梅で思ったことをちゃんと述べなさい」というバランス感覚をもつ難易度の高さって凄いよなあって感じるんですよね。
とはいえ、私も先日家族旅行でアメリカに入国した際、職員に「おじいさんと娘さんとお孫さんの三世代ですか?」みたいなことを真顔で訊かれて、私の顔色がぐんぐん変色した自覚があります。
私は白髪で老け顔なんだよ悪かったな。