沖縄で23年間記者 東京出身の私が思うこと
残業に忙殺される霞が関の役人、マスクを要求する客におびえる薬局の店員……。ツイッターは、組織の壁の向こうにいる人も当然ながらまた人で、それぞれの事情と感情を抱えて生きていることを教えてくれる。
メディアで言えば、「客観報道」という看板の裏にいた記者の顔が見えるようになってきた。それぞれ違う背景を持つ記者が、その目で見て、取材対象を選び、質問をして、考え、記事を書いている。いくら客観的であろうとしても、主観から自由ではいられない。
私自身は沖縄で23年間記者をしているが、就職するまでは沖縄と縁もゆかりもなかった。東京で生まれ育ち、沖縄に基地があることすらまともに知らなかった。大学生だった1995年、米兵3人による暴行事件が起き、全国メディアが集中的に報じるようになった。その時初めて、自分が沖縄に米軍基地の7割以上を押しつけ、その犠牲の上にあぐらをかいて生きてきたことを知った。
翌年はちょうど就職活動の年だった。漠然と、基地問題は沖縄ではなく押しつけている自分たち本土の側の問題だと感じた。沖縄で暮らし、地に足をつけて取材したいと考え、沖縄タイムスの入社試験を受けた。
そういう経緯があるので、「同胞」である本土の身勝手には強く反応してしまう。いや、積極的に批判する責任があると考えている。基地を押しつける河野氏の居直りもそうだったし、百田尚樹氏をはじめとする押しつけ正当化のデマ、ヘイトスピーチ流布も取材テーマにしている。
「客観報道」や「完全なる中立」は幻想だ。読者、視聴者はとっくにそのことに気づいている。メディアだけが長年の建前に縛られて身動きが取れず、信頼という財産を流出させ続けている。
誰もがみな違い、みな偏っている。自らもそうだと認めた上で、だからこそ公平であろうとすること。何を見てどう考えたのか、正直に書くこと。当事者になることを恐れないこと。つまり、個として伝える責任を引き受けること。ツイッターも記事も、きっと同じだと思う。