夏休みのうきうきした気分を一瞬で沈めるのが大量の「宿題」。「宿題はさっさと済ませる」「最後の数日で片付ける」「やらない」と、取り組み方、進め方は様々ですが、大人になってからの仕事のスタイルとほぼ一致する、という説があります。そこで今回「夏休みの宿題」をテーマに文春オンラインの筆者にアンケートをとり、現在の仕事との類似や当時の思い出を伺いました。

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【アンケート項目】

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1.夏休みの宿題の終わらせ方と仕事の進め方が類似していますか? ○△×でお答えください。

2.夏休みの宿題の終わらせ方は、次の5パターンのうちどれに当てはまりますか?

 また、現在の仕事の進め方や行動パターンとの類似点、思い出に残っている夏休みの宿題・自由研究もお聞かせください。

(1)先行逃げ切り型(7月中にすべての宿題を終わらせる)
(2)コツコツ積み立て型(ペースを守ってムラなく計画的に終わらせる)
(3)まくり型(夏休みの最後になって大慌てで取り組む)
(4)不提出型
(5)その他(他人任せ、嫌いなものは後回しなど)

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回答者:楠木 建
宿題はやっつけ仕事。大人になって役に立つ技能に

1.×

2.(1)先行逃げ切り型(7月中にすべての宿題を終わらせる)(4)不提出型

 僕にとって、仕事と学校の宿題はまるで意味が異なる。したがって、この2つの進め方にはまったく類似点はない。

 夏休みの宿題は強制されてやるものである。学校に行って勉強しなくてもいいのが夏休みのイイところ。夏休みに宿題をするというのは真夏の鍋料理に等しい。人間の本性に反している。自発的に宿題をやりたいという子どもは今も昔もほとんどいないだろう。

 イヤなことはすぐに忘れてしまうので、夏休みの宿題をどう進めていたのかは記憶に定かではないが、僕の性分からして、できることなら(4)不提出型、それが難しそうだったら(1)先行逃げ切り型の構えを取っていたと思う。ただし、その場合、徹底したやっつけ仕事で臨み、形だけ済まして提出する。日記などは夏休みの初日に8月の終わりまで書いてしまう。記述は毎日ほとんど同じ。天気や温度も勝手に予想して書き入れていた。当然のことながら先生から「ふざけるな!」というような最低の評価をいただくわけだが、実際のところふざけているので仕方がない。

 これに対して、仕事は自分の意思でやるもの。僕は若いころから極力自分が嫌いなことをやらなくてもいい仕事に就きたいものだと請い願って現在に至る。その甲斐あって、いまではわりと好きなことをやっていれば何とかなる仕事をさせてもらっている。もちろん世の中はトレードオフででき上がっている。いいとこ取りばかりできるわけではない。嫌いなことをしないために、これまで多くのものを失ってきた。

 それでも仕事である以上、好きなことだけというわけにはいかない。嫌いなことでもやらなくてはいけないことも多少はある。そういうときには、割り切って最低限の努力投入で流す。これにかけてはわりと自信がある。イヤな仕事を全身全霊こめて流していると、子供のころの宿題のやっつけ仕事で身につけた技能が役に立っている気がしないでもない。

 そう考えると、イヤで仕方がなかった夏休みの宿題にも意義があったのかもしれない。裏を返せば、その程度の意義しかなかったということである。