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名画から三島由紀夫、昭和天皇まで ある美術家が「丸ごと真似る」にこだわってきた理由

名画から三島由紀夫、昭和天皇まで ある美術家が「丸ごと真似る」にこだわってきた理由

アートな土曜日

2020/03/14
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 2階へ上ると、マリリン・モンローや三島由紀夫になった森村の姿が現れる。メークや衣装によって、人はここまで雰囲気を変えられるものかと感嘆しきりだ。同時に頭をよぎるのは、森村はかくも多大な時間と労力をかけて、いったい何を為そうというのかという疑問だ。

 

 森村のしていることが、単なるモノマネ芸じゃないのは明らか。想像するに森村は、マネやマリリンや三島の創作にもっと、もっと肉薄したいと強く願っている。そのためには「真似る」ことだ。丸ごと真似ることで作品を学び、深い理解に達しようとしているんじゃないか。

 

 さらには、森村作品ではどんな名画にも自分がなりきるのだから、すべてはセルフポートレートである。名画を真似ることは対象をよりよく知るためであるとともに、己を知るための有効な手段にもなり得ているだろう。

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 歴史とは何か。創造とは何か。そして私とは何か。過去の作品や人物になりきることで、森村はそうした問いを深め続けてきたというわけだ。

映像作品で「ニッポンの私」をふりかえる

 2階のいちばん奥の室では、新作映像が流されている。《エゴオブスクラ》と名付けられた作品で、この中で森村は昭和天皇とマッカーサー、三島由紀夫などになりすましながら、日本の近現代史をたどっている。

 
 

 映像内で森村は、大意このようなことを問わず語りする。曰く、真理、価値、思想などといったものは、人の内面にあるのじゃない。それらはいつも人の外側にあって、衣服のように着脱が可能である、と。

 そうか森村はこれまで、さまざまな歴史上の人物を衣服のように着たり脱いだりして、作品をつくってきたということになる。そうしてタイトルの通り、「さまよえるニッポンの私」の姿を浮き彫りにせんと試み続けてきたのだ。

 館内には、かつて森村がつくり設置した常設インスタレーション《輪舞(ロンド)》もある。併せて観ながら、首尾一貫した活動を積み重ねる森村泰昌の全貌に触れてみたい。

 
名画から三島由紀夫、昭和天皇まで ある美術家が「丸ごと真似る」にこだわってきた理由

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