文春オンライン

「オウムと何が違うんだ」カルト村で育った私が『地下鉄サリン事件』から25年目に思うこと

2020/03/20
note

そっくりだった数学の鈴木先生を落書きして

 鈴木先生とは私の通っていた中学校の数学の教師で、森高千里が大好きと公言する愛妻家だった。ふくよかな体つきで愛嬌のある顔をしていたので、私はよく似顔絵を描いて遊んでいた。落ちこぼれで特に数学がからきしダメだった私は、数学のテスト中ほとんど問題を解くことができず時間を余らせてはテスト用紙の裏に落書きをしていた。

 教祖と鈴木先生が似ていると気がついた私は、さっそく二人を描いてみた。一人目は、いつも描いている普段の鈴木先生。横にもう一人鈴木先生を描いて、ヒゲを足し髪を伸ばし白装束を着せて……

(やっぱりそっくり!)

ADVERTISEMENT

オウム真理教の教祖・麻原彰晃 ©AFLO

 高校に進学することができない村の子だったからか、毎回ズタボロのテストの採点でも、裏に描いた落書きには丸をくれる鈴木先生だったが、さすがにその絵には「?」とつけた。しかし怒ってはいないようで、笑いながらテスト用紙を返してくれた。

 席に戻り周りの席の女の子達に落書きを見せていたとき、離れた席の男子が「それ、高田さんが描いたの!?」と話しかけてきた。普段、村では女の子同士で過ごし、男子とほとんど接点のなかった私はドギマギしながら曖昧に笑って頷くことしかできなかったが、その男の子は感心したように私を眺め、「うまいね!」と褒めてくれた。

 それ以降、その男子は私を「面白い子」として接してくれて、私の絵の話を聞いた同級生の他の男子から「鈴木先生と教祖が手をつないでいる絵」を描いてほしいと頼まれたりもした。教祖のお陰で、私は久しぶりに男の子と喋ることができたのだった。

「オウム真理教」も村の外を象徴するネタにすぎなかった

 学校から帰ったら帰ったで、村の宿舎で同学年の女の子達と「わーたーしーはーやってないー、けーえーぱーっくーだー♪」「しょしょしょしょーこー♪」と歌いハモり踊り狂っては笑い転げていた。

オウム真理教の選挙候補たち ©文藝春秋

 年に数回、離れて暮らす親元へ数日間だけ帰れる日があり、一般から来ている子(親は一般社会にいて、子供だけ村に預けられているというパターンもあった)が親元へ帰った際、テレビを見てそういった歌を仕入れてきてくれる。村にいる私たちからすると、「オウム真理教」も「流行っている歌謡曲」も「トレンディドラマ」も、等しく『村の外の一般社会を象徴するネタ』のひとつだった。

 そんな調子であった私が、地下鉄サリン事件から25年目の節目である今年、その件について語る資格があるかというと甚だ疑問ではあるのだが……。

 地下鉄サリン事件以降、村の直売所で販売していた野菜や卵、手作りのプリンなどがだんだん売れなくなっていった。事件があったことで、村が「よくわからない集団」=「危ないカルト宗教団体」ではないかと敬遠されるようになっていったのだ。