「あんたの村はオウム真理教と何が違うんだ」
確かに、オウム真理教の幹部がそうだったように村にいる大人は高学歴の人も多かったし、オウム真理教でも村と同じように、子供は親から離されて子供だけで育てられていたと聞く。
でも村は宗教団体ではなく農業法人だったし、村の子はオウム真理教の子供と違って義務教育だけは一般の学校へも通えたので、実際のところは大分違っていた。
村人は「この前一般の人に『あんたの村はオウム真理教と何が違うんだ』と聞かれたから、『プリンとサリンの違いです』って言っといたわ」と笑い飛ばし、子供たちも「村に取材に来た人たちが『サティアン……!?』って言いながら遠巻きに村の農産加工場を見てたんだけど、中で作ってるの漬物なのにね!」と一般の人たちのとんちんかんな勘違いを面白がって笑い話にしていた。
たしかに農産加工場の四角い建物は、見た目がオウム真理教のサティアンに似ていたが。
ただ結果的に、サリン事件だけが原因でもなかっただろうけれど、村への視線は厳しくなっていき、その後村はどんどん変化し縮小していった。
集団で共同生活、物は共有で大人と子供が別々に過ごす、子供の労働や体罰、朝食抜き、お小遣いなし、農業体験や幸せを謳って人を集める独自のセミナー、物ではなく精神世界の重視、人里離れた田舎に集落を持ち、中で何をしているのか外からは解り難いこと……。
村にいた私たちからすると村とオウム真理教は「違う」けれど、傍から見ると「似た部分」も確かにあって、当時の一般の人たちはそこに不安を感じたんだろうと今では思う。それが事実かどうかは関係なく、不安になると人は自分の安心のために動くし、冷静ではいられなくなるのだ。
自分はその人たちと「違う」と言い切ることもできない
今、コロナウイルスの流行で、あちこちのお店からトイレットペーパーやマスクが消えているのも、あの時と同じ人々の「不安」からくる行動だろうと感じる。
村にいた頃のように、渦中にいる時は見えないこともあるし、自分が見たい方からしか物事は見られないから、勘違いで物を買い占める人や未知の脅威に対して過剰に反応する人を私は笑うことができない。自分はその人たちと「違う」と言い切ることもできない。
「自分は違う」「自分には関係ない」と思うことで安心してそれ以上考えることをやめるのではなく、どんなことでも一旦自分に引きつけて、どうしてそうなったのかと考えてみることが大事なのではないだろうか。
想像もつかないような出来事が頻発する昨今、常にいろんな角度から情報収集し、集団心理に飲み込まれないよう、注意深く物事を見ていけたらいいなと思いつつ、25年前のあの日のような春の空を見上げている。