「俺が心配なのは池山だけなんや」
不思議に思った私はそう聞き返した。というのも野村と池山との強い接点を感じなかったからだ。「ブンブン丸」と呼ばれて三振の多かった池山は、野村チルドレンの優等生ではなく、野村がヤクルト監督に就任した90年の開幕戦(巨人戦、篠塚利夫の疑惑のホームランで巨人が勝利したゲーム)は8番まで打順を落とされた。
池山はそこから打率. 303、31本塁打、97打点と遊撃手としては史上初の「3割30本」を達成、キャンプでの毎晩のミーティングでは、達筆な字でこまめにノートを取っていた。それなのに見た目の豪快なイメージが強すぎるのか、勉強熱心さが野村にまで伝わらない。評論家野村の横に座って野球を見ているとたくさんの選手の名前が出てきたが、池山の名前はほとんど聞いたことはなかった。
ところがハイヤーの中で、野村は目を細めてこう続けたのだった。
「俺がここまで来られたのは野手では古田、広澤(克実)、池山の三人のおかげだ。古田は監督になった。広澤は星野が阪神でコーチとして育てている。俺が心配なのは池山だけなんや。恩返しのためにも楽天でコーチに呼ぼうと思ってるんや」
投手コーチ就任を断った川崎憲次郎
思わぬところで「恩返し」という言葉を聞き、私は心にじんときたが、問題は時期である。シリーズが始まった頃には評論家も来シーズンの契約が決まっている。実際、野村はその直前、投手コーチとして要請した川崎憲次郎から「テレビの解説が決まったので、すみません」と断られた。その途端、「川崎は感謝の気持ちがない」といろんな人に触れ回っていた。一度怒りに火が付くと胸の中に隠し切れずに人前で口に出してしまう。「大好き」がふとしたきっかけで「大嫌い」になるのも、野村克也の性格なのだ。
野村が今にも池山に電話しそうだったため、私は「ちょっとトイレに寄ってもらえませんか」と腹を抑える振りをして、高速を降りてコンビニに寄ってもらった。車から見えない場所に移動して池山に連絡を入れる。
「監督が『ここまで来られたのは古田、広澤、池山の三人のおかげだ、その中でも池山が心配で、恩返しのためにも楽天でコーチに呼びたい』と言っているよ。断るなら監督が電話する前に、池山はヤクルトでコーチをやらなくてはいけないとか言っておくから」