野村の情に、池山は男気で応えた
一気に喋った。正直、指導者としてヤクルトに戻るとファンと約束した池山は困惑するだろうと思ったが、池山は即座にこう言った。
「楽天のコーチやるよ。監督からの連絡を待ってるから」
「だけど球団(ヤクルト)やファンは大丈夫なの?」
「監督にそう言われたらやるしかないやろ。ヤクルトファンだって許してくれるよ」
野村の情に、池山は男気で応えたのだ。その言葉に安心した。同時に外野にいる人間が余計な気をまわし過ぎたかなと反省した。電話を切った私がハイヤーに戻ると、野村は沙知代夫人が作ったおにぎりを食べていた。
「腹の具合は大丈夫か?」
「はい、もう平気です」
野村監督が見せた“感謝の気持ち”
球場に着いてから野村は何度か席を離れた。なにをしていたのか聞くのも野暮だと、私も気づかない振りをした。シリーズ終了後、野村楽天の組閣の目玉として、池山打撃コーチが発表になった。そして池山は野村が楽天を去る09年までスタッフの一員として、「ノムラの考え」を楽天の若い選手たちに伝えた……。
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私はスポーツ紙記者時代の野村担当の一人として、「文藝春秋」4月号および「文藝春秋 電子版」に「ノムラの考えはこうして創られた」を寄稿した。数々の名言を残し、監督としてはつけいる隙のないパーフェクトな野球人だった野村克也が、こと野球以外となると、他人に厳しいくせに自分には甘い……確かに「挨拶しない」は他の球界OBたちが言う通りだったし、他にも人の不摂生には煩いくせに、本人はまったくの運動嫌いで食べ物の好き嫌いが激しいなど、言行不一致が大いにあったことを私はけっして否定しない。むしろそうした一面が見えたからこそ、長嶋茂雄、王貞治の偉大さとは違った親しみやすさが生まれ、野球に興味のないお茶の間にまで愛されたのだろう。
ただし「人望」や「感謝の気持ち」については大いにあったと、弟子のコーチ就任の瞬間に少なからず関わった者として、私は答えるようにしている。
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「ノムラの考え」球界最強野球脳はこうして創られた