戦後72年。かの戦争体験の声が次第に聞けなくなっている今、証言者たちの“孫世代”の中に、声を拾い、研究を深め、表現をする人たちがいる。

 戦争から遠く離れて、今なぜ戦争を書くのか――。

 インタビューシリーズ第5回は小説家の高橋弘希さん。2014年の新潮新人賞を受賞した『指の骨』はニューギニア戦線の野戦病院を舞台にした精緻な作品で、「戦争を知らない世代による新たな戦争文学」が突如出現したと話題となった。なぜ、79年生まれの高橋さんは、70年以上前の戦争を題材にしたのか、お話を伺った。

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高橋弘希さん

大学生のグアム旅行の話を書くつもりが、戦争小説になった

 

――ちょうどこの8月に『指の骨』が文庫化されましたが、もともとはニューギニアを舞台にするわけでも、当時のことを書くわけでもなかったそうですね。

高橋 はじめは大学生がグアムに卒業旅行に行く話を書いていたんです。完全に現代の話として。それで、大学生がグアムに慰霊の旅に来ている爺さんに会って話している場面を書いていたら、どうも爺さんの話していることのほうが面白いぞ、と筆がのってきて。それで、書き直すことにして、結局は太平洋戦争中のニューギニア、負傷した一等兵が臨時野戦病院に収容されて、そこで体験したものを一人称で書くという小説にしたんです。

――病舎の屋根を直しに行った兵が屋根から落ちて死んでいた、という淡々とした描写の一方で、ジャングルの葉っぱの肉厚さや葉脈の色、食べると痙攣する「電気芋」を掘り出したときの様子など、風景が事細かに描かれているのが印象的でした。どうしてここまで微細に書けたんでしょうか。

高橋 自然の他にも、たとえば三八式歩兵銃はどんな型をしていたのか、弾はどんな感じだったかなんて想像で書けないですから、もちろん資料を参考にしました。できるだけ細かく書いたのは本当っぽく、見てきたかのように書こうと思ったからですね。特にこの作品は、主人公の目で見たものを書いたので。

 

――この作品で新潮新人賞を受賞されたとき、選考委員の中村文則さんが「観察者」「部外者の悲しみ」がある作品だ、と評されていました。

高橋 確かに、なるほどそうだなあと自分でも思ったくらい、ありがたい言葉でした(笑)。先輩作家では、太平洋戦争を舞台にした『神器』も書かれている奥泉光さんにも何かのパーティで一度、お話を伺ったことがあります。確か、もっと突き詰めて書いてみたら、と言われた覚えがあります。