大岡昇平の緻密さ、古山高麗雄のコミカルさ
――戦争文学の傑作とも言われる大岡昇平の『野火』に似ている、という声もあったようですが、もともと読んではいたのですか?
高橋 いえ、読んだのは「似ている」と指摘されてからです。大岡作品に限らず、『指の骨』を書くまで、戦争文学と呼ばれるものはほとんど読んでいなかったんです。でも、『野火』は確かに読んでみると、局所的にすごい似ていてびっくりしました。
――どんなところですか?
高橋 自然描写の緻密さとか。まさに観察者の目線だと思いました。
――そのあと大岡作品をどんどん読み進めたりしたんですか?
高橋 いや、『野火』だけですね。
――他の作家の戦争文学はどうですか。
高橋 古山高麗雄『プレオー8(ユイット)の夜明け』を読みました。大学の図書館で「芥川賞全集」に収録されているのを、たまたま見つけたんです。古山さんはラオスの俘虜収容所に転属したところで終戦を迎え、戦犯容疑でベトナムのサイゴン中央刑務所に拘留されるんですが、そこでの監獄生活をコミカルに描いた小説ですよね。
――高橋さんは大岡昇平の対談集『対談 戦争と文学と』の文庫版に解説を寄せていますが、そこでも大岡・古山対談が興味深かったとして『プレオー8の夜明け』について触れていますよね。
高橋 そうでしたね。やはり観察者の視点が鮮やかな小説だなあと印象に残っていたんですね。特に、主人公がチーホア刑務所からサイゴン中央刑務所に移される時に小型トラックから見る風景。サイゴンの賑やかな街並みと、コンガイ(安南娘)を間近に見て、それに喚起されて自分の妻を思い出す場面とか。
人じゃなくて、場所も消えて行ってますよね
――高橋さんは79年生まれですが、子どもの頃、戦争に関する教育って何かありましたか?
高橋 道徳の授業かなあ。原爆のことを知るためのビデオを見たり、原爆の資料的な白黒のパネル写真を見たことはよく覚えています。小4くらいの時だったと思いますが、子どもにとっては過激な風景で、なかなか忘れられないです。あとは、『はだしのゲン』とか『火垂るの墓』とか。能動的に見るわけではなくて、夏休みの昼間、テレビでやっているのをなんとなく見ていたり、という程度ですが。
――ご家族に戦争体験者はいましたか?
高橋 父方の祖父が大陸方面で、母方の祖父が南方に行ってたそうです。直接話を聞くことはなかったんですけど、親経由でそういう話は聞いてました。
――おじいさんと接する機会はあったんですよね?
高橋 覚えているのは、父方の祖父に片目がなかったこと。右目だったか左目だったか、ちょっと忘れてしまったんですが、眼帯をしていたんですよ。彼は軍隊で馬の世話をする係だったのですが、突然、馬に蹴り上げられてしまったそうなんです。考えてみれば、ちょうど自分たち80年代に子ども時代を過ごした世代くらいが、肉親に戦争体験者を持って、なんとなく話を聞いているギリギリのところなのかもしれないですね。
――今、戦争体験者に話を聞くことは、本当に難しくなっていますから。
高橋 人じゃなくて、場所も消えて行ってますよね。思い出しましたけど、実家の近くに防空壕があったんですよ。普通に。小さい頃、この穴はなんだろうって中に入って遊んだりしてました。今から考えたら危ないんですけど。それも小学校に上がるくらいには、きれいに整地されて、そこに家が建っていました。
――仕方がないとはいえ、戦争の記憶みたいなものはどんどん聞こえなく、見えなくなっていく。
高橋 予備校と塾講師を結構長いことしていたんですが、その頃接していた90年代、00年代に生まれ育った子どもたちにとっては、戦争はもはやファンタジーですよね。『艦これ』とか。