昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/03/20

内輪でしか議論しない。そんな社会通念をぶっ壊すために

 元東大全共闘の前田和男を訪ねたのは、その翌日のことだ。前田は「全共闘のいま」をアンケート調査し、「全共闘白書」にまとめあげた人物だ。討論会を主催した元全共闘の所在を把握しているのは前田しかいなかった。

 前田が我々に紹介してくれたのが、木村修だった。あの討論会で司会進行役を務めたガクラン姿の東大生。三島の自宅に直接電話を掛け、討論会への参加を求めた男だ。才気走った若者は、50年の歳月を経て控えめで温厚そうな老紳士になっていた。

元東大全共闘・木村修

「当時から日本人は内輪でしか議論しないところがありました。そんな社会通念をぶっ壊したかった。だから三島さんに来てもらったんです」

 木村は定年退職後の時間を利用して、かつて敵対していたはずの三島由紀夫の文学、思想を研究し続けていた。

「世の中の三島研究本はダメですよ。分かってない」

 三島論となると木村の眼に強い光が宿る。彼は、敵対していたはずの三島の魅力に取り憑かれていた。

 50年前のあの日、木村は、三島を1000人の学生の前に引っ張り出して論破してやろうと画策していた。学生らは体を鍛える三島を「近代ゴリラ」と揶揄するポスターを貼り、心理戦を挑んだ。

討論会で司会をする木村修

「自らの死」に幾度か言及した三島

 1969年5月といえば、安田講堂が陥落した4ヶ月後、学生運動がセクトによる暴力的地下闘争、内ゲバに移り変わる過渡期だ。東大900番教室には、退廃と緊張が入り交じった異様な空気が漂う。三島の護衛にきた楯の会のメンバーらが全共闘の中に紛れている。

 討論で交わされる言葉は難解だ。テーマは国家、暴力、時間の連続性、政治と文学、天皇……。私たちは、教室に吹き荒れる熱風に晒されながら、飛び回る言葉を一つ一つ捕まえ、分解しなければならない。

 全共闘学生が三島に牙をむく。だが、三島は清らかな眼に、微笑みすらたたえながら、丁寧に言葉を紡ぐ。

 三島はそして「自らの死」に幾度か言及する。

「私が行動を起こすときは……」「自決」