終盤、敵対しているはずの両者の言葉が共鳴
清純な眼差しを見ながら、はたと気付く。三島は1年半後の自死の理由を、全共闘学生たちに懸命に理解させようとしているのではないか。私には「この討論会は三島から未来を背負う青年たちへの遺言」と思えてならない。
討論の終盤、敵対しているはずの両者の言葉が共鳴している。予期せぬ心理的連帯に眩しさを覚える。
私たちはいま「保守対革新」「右翼対左翼」「愛国対反日」という、言論分断の時代に生きている。現代のカテゴリーに当てはめれば、三島由紀夫は「右翼」に分類されてしまうだろう。戦後右翼の思想の根幹は反共、愛国、そして親米だった。だが、三島の思想は「戦後右翼」のそれとはまるで違う。三島にとっての敵は「経済繁栄にうつつを抜かし堕落してしまった日本」そのものだった。ヤルタポツダム体制によって去勢され、米国の属国になった日本、魂を失った日本人こそが、三島や楯の会の学生たちの怒りの標的だった。その思想の根底には、左翼学生との共通項すら見いだせるのである。
現代のネット論争は“卑怯な小競り合い”
いま、保守・愛国を名乗る集団は在日朝鮮人らの排斥を叫ぶ。汚れた言葉に力はない。ネット空間では論争と称する匿名の罵り合いが繰り広げられる。それはバーチャルの言論にすぎない。私たちが現代社会で見聞きする議論など、物陰に隠れながら石礫を投げ合うような卑怯な小競り合いにすぎない。この映像を見れば、そんな事実を思い知ることになる。
この映画の関係者プレビューが終わり、私が客席を振り返ったときのことだ。会場の片隅で楯の会一期生の篠原裕と東大全共闘の木村修が、握手を交わしている姿を目撃した
映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』公開中
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