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“右と左”の直接対決 三島由紀夫vs東大全共闘「伝説の討論会」、いったい何が語られたのか?

2020/03/20

 1969年5月13日。この日、東大駒場キャンパスには1000人を超える学生が集まっていた。作家・三島由紀夫と討論するためだ。企てたのは東大全共闘のメンバー。右と左。思想が異なる両者がぶつけあう言葉たち。時に怒号が飛び、時に笑いが起きながら、会場を圧倒的な熱が包み込む――。この「伝説の討論会」を記録した貴重な映像はTBSに保管されており、映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』となって日の目を見ることとなった。三島が自決する1年半前に行われたスリリングな討論会。映画化の舞台裏とは――。プロデューサーの竹内明氏(TBS)が綴る。

討論会の様子。腰に手を当てる三島由紀夫

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 50年前、TBSのテレビニュース部には、「学生班」という取材チームがあった。ここに所属する若手記者たちは、東大、早稲田、日大などの大学別、中核、革マル、社青同などのセクト別に担当を分けて、学生たちがいつ大学封鎖を行うのか、どんな街頭闘争に打って出るのか情報収集していた。学生班の記者たちは入社2年目から5年目、大学時代には各セクトに所属した者もいた。かつての後輩たちから情報収集するのだから、うまくいかないわけがない。

 小川邦雄は、当時、報道大部屋のラジオ班の記者だった。東京大学剣道部、体育会出身のノンポリで学生運動とは無縁だった。このためテレビの「学生班」が集めた情報を聞いては、過激さを増す学生らの抗議行動を取材していた。

討論会が行われた東大駒場キャンパス900番教室

「東大全共闘が三島を呼んで討論会をやるらしいぞ。行ってみないか?」

 学生班の先輩記者からの誘いがあったと記憶している。

 小川は東大駒場キャンパス900番教室に出向いた。半ば興味本位だった。現場にいたテレビカメラはTBSのみ。全共闘学生たちに紛れて最前列に座った。1969年5月13日。三島が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹する、わずか1年半前のことだ。

 このとき記録された16ミリフィルム2巻、合計1時間15分20秒は、50年後、TBS緑山スタジオの倉庫から発見されることになる。