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なぜ私たちは「一斉休校」を批判しながら「緊急事態宣言」を待ち望んでしまったのか

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「緊急事態宣言」では物足りなくなる日

 いずれも極端なシナリオで、長年にわたって用いてこなかった“劇薬”のような手段ですから、政府も簡単には踏み切れないはずです。

 ただ、私が懸念しているのは、新型コロナウイルスの感染拡大への恐怖心から、国民が自ら過激な政策を政府や与党に求めていくことです。

 1カ月ほど前、日本ではどういう意見があったのか思い出してください。急遽決まった全国一斉の小中高校の休校に際して、「あまりに急すぎる」「過剰な対応だ」と批判が噴出しました。

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安倍首相は、さらに強硬な政策を求められるのか ©getty

 ところがいまでは、海外で先行する強権的で、強制的な「国家緊急事態」や「都市封鎖」と比較して、「日本の対応は生ぬるい」「危機意識が足りない」「外出禁止を徹底するべきだ」との声が強くなっている。日に日に日本国内での感染が拡大しているとはいえ、短期間のうちに、あまりに大きく揺れているのです。

 さらに、これらの世論には、いわば「原理原則」がありません。「私権の制限を含む緊急事態宣言は危ない」と言っていた人が、1カ月後には「早く宣言を出しておけば良かった」と手のひらを返す。野党批判や政権擁護をしたいのではありません。イメージばかりが先行し、政策の根底にあるべき「原理原則」が顧みられることもない状況が問題なのです。

隣の芝生は青く見えてしまう

 これまでも緊急事態における危機管理については、長年議論がされてきました。2003年には、当時の民主党が「緊急事態基本法案」を公開していますし、2012年には自民党の改憲草案に組み込まれた「緊急事態条項」をめぐり議論が起こりました。緊急事態に内閣に強大な権限が集約されることに対して、「国家権力が国民の権利を制限する危険性がある」との批判が出たのです。

西田亮介氏 ©文藝春秋

 そんな議論が続いていたはずなのに、新型コロナウイルスに対応するなかで、一気に極端な方向に振れかねない状況が生まれています。

 隣の芝生は青く見えがちです。他国で現金給付の報道があると、「日本でも即、実施すべきだ」という議論が噴出します。でもそれらも申告制だったりするわけです。

 中小企業者が400万弱ある日本の事情を思うと、雇用も含めて使途が柔軟な無利子、無担保、信用保証料が支援される貸付の仕組みは過去の震災などの有事でも事業者から評価を受けてきました。隣の青い芝生はないので、日本式の有効な支援をしっかり政治、経済、社会で構想することが重要です。

 もちろん、感染しないことは大切です。疫学的には人との接触をできるだけ避けることが求められていると思います。一方で、新型コロナウイルスによって生じる問題の影響は経済や生活の広範囲にわたる複合的な問題です。

 緊急事態宣言が解除された後にも続いていく日常のためにも、多角的かつ慎重に考えていく必要があります。

なぜ私たちは「一斉休校」を批判しながら「緊急事態宣言」を待ち望んでしまったのか

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