〈5月17日(木)=第6日
朝5時半、コンパスを見ると、ポートに(左に)まわっている。こりゃ、いかん。さっそく、テイラー(舵柄)をくくりなおす。マグロ船が横に近づいてきて、いろいろ話してから、去っていった。〉
こっちがチョロチョロしているもので、気になったにちがいない。よってきて、
「どこまでいくんだ?」と声をかける。
「八丈島や」
「どこからきた?」
「大阪」
尋ねられるばかりではつまらない。こんどは、ぼくのほうから、
「カツオ船か?」
「いや、マグロだよ」
「船籍はどこ?」
「和歌山だ」
おたがいに、相手のサイドを足先で突っぱりながらの対話だ。むろん、あてないためである。
「そんなヨットで、八丈までいけるのかい? あぶねえな。ちょっと風が吹いたら、ひっくりかえるぜ」
実は、八丈どころではない。おかしくなる。
「八丈から、どこへまわる?」
「横浜へいく」
別れしなに、写真をとってやった。
「できたら送ってくれ」
「ヨッシャ」送るのは、だいぶ後になるだろう。
これが網膜に映った最後の陸地になる
〈5月21日(月)=第10日
午前6時、雨があがる。風も微風を送ってくれる。逃がさぬよう、直接、手でティラーをとる。
午後になってから、4隻の汽船に会う。バウを伊豆のほうにむけて走った。
9時ごろ、御蔵島と八丈島のあいだをぬけたようすだ。保安庁の報告だと、ことしの黒潮は、二つの島のあいだを、北東に流れてるそうだ。しかし、太陽も落ちているので、セーフティ・ファースト(安全第一)をねらい、その南のリーフ(暗礁)のないところを通った。
小生にとって難関とおもわれた伊豆七島も、これで突破だ。
右手前方に月がいる。天上には北斗七星。ポラリス(北極星)はま横に光る。追手(背後)に順風を受け、ツイン・ステースル(2枚の前帆)をいっぱいにしめこむ。右手にティラーを持ち、左手でチーズをかじる。ラジオから、ハワイヤンとモダン・ジャズが流れる。
ひとつの勝利を手にしたような、満足感をおぼえた。〉
八丈は見えなかった。御蔵も見えぬ。この辺には灯台がない。目にしたのは、御蔵の南西にある荒岩だけだった。これが網膜に映った最後の陸地になる。
島のあいだを通過しながら、針路の正しかったことに、気をよくした。位置がつかめると、グンと自信がつく。闇のなかで、ゴロゴロとあるはずの暗礁を、うまくぬけた。爽快な勝利感だ。
本土から八丈までセールしてきたヨットは、いままでに1隻しかない。が、それは4人でだ。シングル・ハンド(正確には、シングル・ハンデッド。単独行)では、ぼくがはじめてである。
ちょっと、鼻が高くなりかける。しかし、「マーメイド」の目的は、太平洋横断じゃないか。まだまだ、スタート・ラインにもついていない。こんなところで、気をゆるめては大ごとだ。気持をひきしめる。
デイト・ライン(日付変更線)を出発点と考えることにした。まだ、まだ遠い。 船に会うたんびに、いちいちバウを北にむけて見せる。ジェスチャーである。いきたいほうに走っていて、怪しまれては困る。敵が遠くなると、もとにもどす。またやってくる。ふたたび、ポーカー・フェースをつくる。めんどくさいこと。しかも、この辺は北寄りの黒潮が流れている。おかげで、だいぶ北によってしまう。バカを見た。たぶん、10カイリの赤字とおもわれる。