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2017/08/13

source : 文藝春秋 1962年11月号

genre : エンタメ, スポーツ, 国際

後部ガラスが、みじんに破れ飛んだ

5月24日(木)=第13日

 午前5時、アンフロイド・バロメーター(気圧計)は1000ミリバールを割る。外は、風波がグングン激しくなった。セールをあげて走っては危険だ。

 胴体にライフ・ライン(命綱)をまきつけて、デッキに出る。スターン(船尾)から、50メートルのロープをのばして、セールをおろした。それでも、ボートは波に立たない。(直角にならない)で、さらに、40メートルのアンカー・ロープにアンカーをつけて、スターンから流す。

 アカもりがひどい。ローリング、ピッチングがきつい。ピンのボルトが千切れそうにふるえる。

 午前11時、991ミリバールを記録。すると、風は弱まり、太陽が出るではないか。台風の眼にきたらしい。いまのうちに写真をと、大いそぎで波のいろいろを20枚近くとる。

 しかし、それもつかの間。南無妙法蓮華経! 南無妙法蓮華経! そう唱えるしか、いまできることはない。ボートはバラバラに解体する寸前とおもわれる。

 そうおもった瞬間、横から巨大な波がぶちあたった。ドッと海水が流れこむ。これで、わが生涯も終りか。つづいて、もうひとあたり。スターボード(右舷)側の後部ガラスが、みじんに破れ飛んだ。

 あわてて、板をあてて釘を打つ。そのうえを、ビスでとめる。クタクタだ。おまけに、毛布もスリーピング・バッグもズブズブ。千切ったパンをミルクにつけたみたいになっている。着がえも、ほとんど水びたしだ。

 寒さと、空腹と、船酔いに参りながら、アカをくみ出す。神に祈るばかりである。

 夜に入って、気圧はいくらかあがった。が、風波はおなじだった。〉

©iStock.com

 全行程中の最悪の日だった。

 スターボードのクォーター・バースで寝ていたら、いきなり、水がガバッとなだれこんできた。頭から足の先まで、全身ズブぬれになる。とっさに、もうあかん! 沈没したと直観した。船底をやられたか。

 しかし、あわてて見まわすと、寝ていた上の窓ガラスが破られている。キャビンいっぱいの破片だ。ヨッシャ! とばかり、板を押しあてる。

 ドンピシャリの板があったのである。いうなれば、金毘羅さまのご利益だった。

 正月に、林さん(ヨット仲間)夫妻が乗組んだヨットとつれだって、「マーメイド」は金毘羅へセーリングでいった。高松に上陸して、バスで琴平へ。林さんたちはおサイ銭をあげたが、ぼくは割愛しておいた。

 えらいケチン坊みたいで恥ずかしい。しかし、太平洋横断をひかえているので、1円のお金も惜しかった。

 その帰りだ。50フィートのヨットが、ロープを切って流れてきて、横ッ腹にぶつかった。ポート(左)の窓が、2枚とも割れた。おサイ銭をシブチンした罰だったかもしれない。ともかく、ほってはおけないので、板で応急処置をした。

 帰ってから、すぐに修繕をしたのは、むろんである。が、板はそのまま積んであった。だから、窓にはキッチリ合っている。おかげで、太平洋上、うろたえずにすんだ。

 さすがに、金毘羅さんは航海安全の守り神だ。

 アンカーはダンホース(形の名前)を流す。それもスターンからである。教科書では、たいてい、バウから引けと書いてあった。が、そうすると、うまくない。自分式に、スターンから流す。太平洋の波には、これがむくようであった。

 

5月25日(金)=第14日

 それでも、嵐は終わった。どうやら、命は助かった。しかし、スタートしたばっかりなのにこれでは、ゆく先どうなるかと、まったく不安だ。

 船のなかは、もうグジャグジャ。ステップのツール・ボックス(道具箱)にしまってあったものが、バウに転がっている。ポート(左)の棚に入れてあったはずが、スターボード(右)の棚から出てくる。手品みたい。オドロキである。

 でも、からだが弱っているので、整理は簡単にしておいて休んだ。〉

 荷物のアクロバットには、あきれかえる。右の棚から左の棚へ、左から右へ、品物が空輸されているんだから……。おもいちがいのはずはない。ちゃんと分類して入れといたんだ。それがミックスしてしまっている。

 たぶん、一度下に落ちて、それからむこうに入りこんだのではあるまい。じかにジャンプしたと見当がつく。だって、ぼく自身、ゆれのひどいときには、あおむいて寝ているのか、横むきになってるのか、うつむけなのか、さっぱりわからなかった。第一、天地がハッキリしていないのだ。

 それにしても傑作なのが、ツール・ボックスの中身である。これはフタのない箱みたいなものだ。上から落とすようにしなくては、なかに入れられない。だのに、バウへ飛んでいる。まったくのマジックだ。ぼくはいろいろ推理した。

 太平洋の波は巻き波である。漫画に出てくるあの形だ。ネコの爪みたいな形になっている。片側から、直角に近いくらいの角度で、グッと盛りあがる。のぼりきったところは、山のテッペンのようなトンガリだ。それが反対側に曲っている。そして、そこまでしかない。

 テッペンの下はガランドウである。絶壁なんてもんじゃない。逆にのめりこんでいる。波にのしあげたボートは、垂直に空中をダイビングする。

 ジャンプしかかる瞬間、うしろへ流しているアンカーの力が、グッと加わる。逆落としになろうとするボートの尻を、アンカーが下からひっぱることになる。艇体は、そこで、ガクンと首を上に振る。

 そのときではないだろうか? ツール・ボックスのなかにある荷物が、垂直にはねあがったのは……。そうとしか解釈できない。それでなくては、へさきに引っ越す道理はなさそうだ。ぼくが横になっていたのも、ほうり投げられないためだった。

 船酔いというヤツは、なんともしんどい。滅入って、だるくて、なにをする気にもならない。

 バウにスッ飛んでいる本を、拾いにいこうとおもう。が、ま、あとでいいだろうと、すぐにブレーキがかかる。きょうこそは……あしたこそは……けっきょく、かわいそうな本は、10日もバウから拾われずじまいだった。白状すれば、ぼくは船酔いにヨワい。

「太平洋横断ひとりぼっち」#2に続く)

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