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 それから十数年が経過した頃、関根さんにインタビューする機会を得た。このとき、僕は再び『一勝二敗の勝者論』を手に取った。すると、意外なほど本書の内容が胸に沁みるのである。特に感銘を受けたのが、次の箇所だった。

 負けて勝つ――。きょうは負けているが、明日は勝つ。きょうの負けを明日の勝利の糧とする。それが「一勝二敗の勝者」が成すことである。
 一勝二敗で進む――といったら、みなさんは、負け惜しみと思われるだろうか。弱いものの寝言と思われるだろうか。そんなことで、勝者になれるはずがない、と言う人も多いかもしれない。
 しかし、よく考えてみれば、ビジネスマンの世界でもどんな世界でも、この人生、一勝二敗どころか、一勝四敗、一勝九敗……いや、負け続けの人生であることが多いのではないだろうか。

 年齢を重ねたことで、関根さんの言葉をすんなりと受け入れられるようになっていた。僕も年を取ったのだ。そして、このときのインタビューも含蓄のある言葉ばかりだった。インタビューを終えて帰宅後、「あぁ、関根さんに悪い感情を抱いていて申し訳なかったな……」と思った。「きちんと謝ればよかったな」と思った。

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意外過ぎる、ほのぼの関根さん

 それからさらに数年後、再び関根さんにインタビューする機会を得た。今度は『一勝二敗の勝者論』を持参し、この本について誤解していたこと、勝手に悪感情を抱いていたことを謝罪しようと決めていた。取材当日、僕はこの本を差し出す。関根さんはキョトンとしたまま口を開いた。

「……何これ? これ、僕が書いたの?」

 意外すぎる返答に驚きつつ、「間違いなく、ヤクルトの監督を辞められたすぐ後に関根さんが書かれた本です」と告げるものの、「ふーん、そうだったかな?」と反応は薄い。しかし、本を手に取り、タイトルを見た瞬間、関根さんは意外な言葉を口にした。

「えっ、『一勝二敗の勝者論』? バカ言っちゃいけないよ。一勝二敗で勝者であるはずがあるかい。バカなこと言っちゃいけないよ」

 僕は慌てて、「えっ、だってこれ関根さんのご本ですよ」と口にする。しかし、関根さんは「うーん、そうなんだろうけどね。でも、このタイトルはないよ。一つ勝って、二回も負けたら勝者じゃないよ。そんなことねぇよ。ハハハハハ」と笑っているのだ。

「一つ勝って、二回も負けたら勝者じゃないよ。そんなことねぇよ。ハハハハハ」 ©長谷川晶一

 その笑顔を見ながら、僕も笑うしかなかった。関根さんは言う。

「一勝二敗で威張ってるんじゃないよ。僕は、そんな気持ちなんか持っていないからね。“負けて勝つ”なんて、うまいこと言ってるんじゃないよ」

 まさかの展開に驚いていると、スイッチの入った関根さんの口調に勢いが増す。

「オレは『一勝二敗の勝者論』なんて言った覚えはないよ。1つ勝って、2回負けたら勝者じゃないよ。そんなことねぇよ。1回勝って、2回負けて、何が勝者だ!」

 そこからは終始、和やかなムードで取材は進んだ。今から振り返っても本当に幸せな時間だった。大満足のまま取材を終え、僕は手元のカバンから取材謝礼を取り出した。本来ならば銀行口座を聞いた上で振り込もうと思っていたけれど、関根さんに銀行口座を聞くということは、何だかオレオレ詐欺をしているような後ろめたさがあって、直接手渡しをすることに決めたのだった。謝礼の入った封筒を差し出すと、穏やかだった関根さんの表情が曇った。

「何、コレ?」

 僕が「今日のお礼です」と告げると、険しい表情のままで関根さんは続ける。

「あのね、僕にはこういうものは必要ないから。僕はね、謝礼なんか受け取らないよ。たまに昔のことを思い出してしゃべる。それは僕にとって、とても楽しいこと。今日、いろいろ昔のことを思い出して楽しかった。これで十分。謝礼なんかいらない。ホントだよ」

 僕はありがたくその言葉に甘えることにした。すると、関根さんは笑顔で言った。

「でも、ここのコーヒーはごちそうになろうかな?」

 粋なやり取りだった。関根さんはカッコよかった。懐かしい話をひたすら聞き続けたあの瞬間は僕にとっての宝物だ。関根さんがヤクルトを率いたあの3年間は最高に楽しい野球だった。本当にどうもありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください――。

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