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【追悼】愛すべき“おじいちゃん”関根潤三さんが大洋の監督を引き受けてくれた頃

文春野球コラム2020 オープン戦

2020/04/11

 関根潤三さんが93歳で亡くなった。近年はメディアに登場する機会も少なく、2歳上の杉下茂さんが毎年精力的に中日キャンプを訪れて話題になる度に「そういえば関根さんは……」との思いが頭をよぎっていた。関根さんにはいつまでもお元気でいてほしかった。

 現状最後の50勝&1000安打達成者(それぞれ65勝、1137安打)、大谷翔平以前に唯一、投手と打者双方でオールスターにファン投票選出、パールス時代から弱い頃のバファローズを支えた近鉄OB、V9初年度の巨人優勝メンバー……と、長い球歴を持つ関根さんにはさまざまな顔がある。

 また、若き日の池山隆寛と広沢克己をクリーンナップに据え黄金時代の礎を築いたヤクルト監督時代、「よろしくどうぞ」に代表される柔和な語り口ながら、時に厳しく辛辣なコメントを残したフジテレビ&ニッポン放送の解説者としての関根さんを思い浮かべる方も多いだろう。

 しかしホエールズ、ベイスターズファンにとって、関根さんは1982年から84年の監督としてエース・遠藤一彦、リリーフエース・斉藤明夫の二枚看板を確立。高木豊と屋鋪要をレギュラーに固定し、1983年には「大洋ホエールズ最後の勝率5割以上」(=61勝61敗8分け)をもたらした功労者だ。情けない話だが、このチームが次にシーズン勝率5割を達成するのは95年。12年も待たないといけなかった。

「大洋ホエールズ最後の勝率5割以上」をもたらした功労者、関根潤三氏

長嶋茂雄までの“つなぎ”での監督就任

 そんな関根監督を当時のチビッ子大洋ファンがどう見ていたかと言えば、まぎれもなく“おじいちゃん”だった。ここに1984年のホエールズファンブックがある。巻頭の関根監督の紹介ページを見ると1927年3月生まれで当時57歳。2020年の57歳と違い、1984年の57歳はずっと老成していた。僕らは『プロ野球ニュース』で常にニコニコ受け答えをするわがチームの指揮官を見ては“このおじいちゃんで大洋は優勝できるの?”と思っていた。管理野球でおなじみ西武の広岡達朗、「ええでええで」と選手を鼓舞する阪急の上田利治、ベンチで壁から身体を半分出して冷静に采配をとる広島の古葉竹識。こういう人たちが“勝てる監督”だったから。

 小学生には関根さんが大洋にやって来た経緯などわかろうはずもなかった。しかしやがて、大洋は巨人監督を解任後浪人中だったミスター長嶋茂雄の招聘を狙っており、関根さんはそれまでの“つなぎ”で監督に就任したことを知る。そのあたりの事情を、関根さん自身が『ファンマガジン横浜大洋』1984年新年号に掲載されたファンとの対談で語っているので少し抜粋したい。

ファンの女性「関根監督は3年契約で大洋に入られたそうですが、今後もまた続けていただける……。長嶋さんの問題が昨年もあって、関根ファンは、ガッカリしてました。ご自身はどう考えていらっしゃるんですか」

関根「僕は、いま言えないんだよ。大洋漁業のグループ全体の問題で、僕が決めるんじゃないし」

(中略)

関根「自分はあくまで土建屋の方に向いていると思うんですよ。僕のあとに長嶋君に白羽の矢を立てた大洋グループの狙いは、実にマトを得ていると思うんです。(その考え方を)納得したから、監督になったんですからね」

ファンの女性「……そうですか」

関根「大洋球団のために、僕のあとに長嶋君がくるのがベストだと思う。やはり勝負するのには、あの人は絵にもなるし、またそれだけの実績も能力もあるしね」

(中略)

関根「長嶋君にもいろいろ事情がありますから、もし今年も大洋に来れなくて“お前やれ”と言えば、そりゃ僕は勝負しますよ、およばずながらも」