今後のコミュニケーションも“デジタル化”する?
さて質問コーナーだ。相変わらず静かでどこからも質問がでない。おそらくみんな質問のタイミングがとれないのだろう。いつもならこちらから役員などに感想を求めたりできるのだが、やや勝手が違う。
すると突然質問が出る。それもパソコンのスピーカーからいきなり発せられるのでちょっとドキリとする。しかも発言者は取引先の役員だ。通常は相手の顔と表情、そして声に対するのが、ここでは「声」だけが相手になる。そのせいかなんだか事務的なやりとりになる。
計画についてのかなり込み入った質問を受ける。想定はしていたが面倒な質問だ。あわてて応えようと口を開いた瞬間、横から(web会議ではまさに「ヨコ」から)私の会社の役員が登場した。そうだった、このミーティングにはうちの役員も参加しているんだった。何せ自分の周りには味方であるはずの社員たちの姿が見えないのだ。
社内のミーティングですら多少ごちゃごちゃ感があるのだが、外部とのミーティングやプレゼンになると、どうやらコミュニケーション手法は従来の「ライブ」とはだいぶ異なるように感じている。
場の空気が読めないということは、相手との「押したり引いたり」の技が通用しないということ。これは社内でも社外でも共通である。ということは今後のコミュニケーションの取り方はもっと機械的なもの、つまり相手の気持ちを探る、といったアナログ的な部分は小さくなり、イエス、ノーがはっきりしたデジタル的なものになっていくように感じられる。
「毎日通勤する必要はなかった」とみんな気づき始めた
さて新型コロナウイルスの襲来で図らずも前倒し的に始まったテレワーク、良きにつけ悪しきにつけ、日本人の働き方を変えていく可能性がある。
もちろん事務系ワーカーのすべての業務がテレワークに転換されていくことはない。また逆にテレワークのすべてがAIなどに代替されるわけでもない。だが、すべての社員が同じ場所に集合して全員で濃厚接触をしながら朝から夕方まで仕事をすることの、ある意味「理不尽」さを、多くの会社や勤労者自身が気づくきっかけになったことだけは間違いなさそうだ。
特に個々の社員の業務内容がほぼ定型化していて、責任の所在もある程度明確な業務に関しては、基本的にはテレワークにして、毎朝毎夕膨大な時間を費やして会社に「通勤」する必要がなさそうであることは広く知られるようになったと考えてもよさそうだ。
またテレワークを実践してわかるのが、各企業の人事評価に大きな影響が出そうだということだ。