「復刻」「振り返り」「あの時は」……今、スポーツ紙の紙面にはこんな言葉が顔をのぞかせている。言うまでもなく、新型コロナウイルス感染拡大の影響でスポーツの「生の動き」が消え、報じるものが無くなった。そんな状況で、スポニチも過去の名試合の復刻記事や担当記者による後日談、歴史的一瞬を切り取った写真の再掲などの企画を行ってきた。

「苦戦」と言われればそれまでだが、コロナがスポーツ紙にもたらしたものは、マイナスばかりでもない気がする。会社の看板を背負って現場で取材してきた記者やカメラマンたちが残してきた「財産」を今一度、目にすることができる。そんな企画に目を通すのが今では、毎日の密かな楽しみになっている。

 気づけば僕も1カ月以上、テレワークの毎日を送る中、ふとした瞬間に「後ろ」を振り返ったりするようになった。今年で阪神タイガースを担当して11年目。どこを切り取っても、それは“虎の記憶”で占められる。25歳の時も30歳になっても甲子園で、鳴尾浜で、時には北海道、沖縄……と全国でタイガースの選手を追いかける自分がいる。ただ、レジェンドの偉大な記録にもほとんど立ち会ったことはないし、先述の紙面企画で語れるものも思い当たらず、ちょっと恥ずかしい思いもある。

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ヘコみっぱなしの中で気軽に話しかけられた「オアシス」

 それでも、10年間でいくつか自分なりの“沸点”みたいなものはあったりする。本来なら今頃は、シーズン40試合ほどを消化してワンプレーを切り取ったり、選手のエピソードを材料に文春野球を盛り上げるコラムを執筆しているはずだったが……。ただ、こんな機会もなかなか訪れないとも思って、虎番生活での最初の“沸点”になったある試合を思い出してみた。

「2010年8月22日付」。会社のデータベースに検索をかけたのは10年前だ。懐かしい1面の見出しには「プロ初星スルリ 秋山 悔し涙」とある。8月21日、当時、高卒1年目だった秋山拓巳が東京ドームの巨人戦でプロ初登板を果たし、6回4失点で降板。5回まで2失点で粘りながら6回に逆転を許し、手にしていたプロ初勝利を逃した。タオルで涙をぬぐう写真が、プロの厳しい世界でいきなり味わった残酷な結末を表していた。

©スポーツニッポン

 今でも覚えている。この日、僕はバックネット裏の記者席で何とも言えない気持ちでプレーボールを待った。緊張、興奮でもない。名前がコールされ19歳が走ってマウンドに向かう姿を何だか他人事ではない気持ちで見ていた。その半年前、内勤から異動になって憧れだった記者として現場に飛び出した。しかし、取材のイロハなんて心得ているはずもなく、質問の仕方も分からない。ある時は2人の選手の年齢を勘違いし、後輩が先輩を呼び捨てするコメントを掲載してしまい謝罪。別の日は、山にある練習場での取材を終え、上司に連絡をしたものの「取材が甘い。やり直してこい」と鬼の“再登山指令”も受けた。

 今となっては笑い話でも、冷や汗と、落胆の毎日。そんなヘコみっぱなしの中で気軽に話しかけられた「オアシス」が秋山で、同じ“1年目“ということで勝手に親近感を抱いていた。初めて食事に誘ったのは、6月だったと思う。今では迷いなく素通りするであろう兵庫・三宮の高級店に入ってコーラで乾杯した。料理、ドリンク……とにかくすべてが高かった。なぜそんな店をチョイスしたのか。気負ったこちらの“力み”を今は苦笑いするしかない。