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モト冬樹が初めて明かした志村けんへの後悔「俺には田代の役割が……」《盟友の死から1カ月》

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 亡き盟友への胸中をモト冬樹は4月30日付のブログでこう綴っている。

〈昨日は志村けんさんの月命日でした。志村さんの誕生日会に行くたびに、毎年いただいた志村さんの帽子。これも、これも、俺の大切な宝物になっちゃったな。志村さんのあのはにかんだような笑顔。いつまでも忘れないよ〉

 
志村さんの誕生日会でもらった帽子をかぶるモト冬樹(上、下とも4月30日のモト冬樹ブログより)。毎年デザインが変わる

田代まさしの代わりだったモト冬樹の出演

 4月18日からYouTubeでは、1987~1996年に放送された「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)が公開され、1本目の総再生回数は530万回(5月3日現在)を超えた。

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 モト冬樹にとって、ザ・ドリフターズのメンバーを経て喜劇役者となった志村はかけがえのない存在だった。そして志村に対して、ずっと打ち明けられずにいた“後悔の念”があったという。

「こんなこと志村さんには一度も話したことないんだけど、俺も音楽やって、お笑いに行ったから志村さんが目標ではあったよね。今もYouTubeで『(志村けんの)だいじょうぶだぁ』を見ていると、やっぱり志村さんは格段に面白い。こんなことを言ったら変かもしれないけど、田代(まさし)がより志村さんの笑いを際立たせていたよね。当時の田代の才能は素晴らしかった。

志村と田代の「体操のお兄さん」のコント(YouTube「志村けんのだいじょうぶだぁ♯5」より)

 実は田代が(不祥事で)いなくなったときに、志村さんが声を掛けてくれて、俺を田代の代わりに『(志村けんの)だいじょうぶだぁ』に入れてくれたんだよ。俺はビジーフォー(でお笑い)をやっていたから、志村さんは認めてくれていたところもあった。俺も田代の後だから『やらなきゃ』と意気込んでいた。でも、実際にコントをやってみると難しい。結果的に俺は志村さんに対して、きっと田代ほどのサポートはできなかったんだろうなという後悔をずっと引きずっている。自分に田代ほどの才能があればもっと一生懸命やったと思うんだけど、志村さんはきっと田代のような存在が欲しかったんだと思う」

 1986年ごろ、ラッツ&スターのメンバーだった田代まさし(63)は志村に才能を見出され、タレントに転向。90年代、「志村けんのバカ殿様」「志村けんのだいじょうぶだぁ」とコントで笑いを届ける志村の傍らにはいつも田代の姿があった。しかし、相次ぐ不祥事によって田代は芸能界から引退し、志村の前からも姿を消した。