新型コロナ対策に「いつもの手口は通用しない」
すでに2月26日に次のように書いていた新聞もあった。
《公文書の改ざん、廃棄、虚偽答弁、勝手な法解釈、官僚人事の操作…あり得ない手口を駆使して維持してきた憲政史上最長政権だが、新型コロナウイルス対策にいつもの手口は通用しない。》(東京新聞「こちら特報部」デスクメモ)
現政権は選挙の強さや支持率の高さでこれらの振る舞いでもしのげてきたが、新型コロナウイルスという忖度してくれない相手に出会ってしまったとき、難局が来た。
これまでモリカケ桜、黒川定年延長問題があってもどこか遠いことだと思っていた人たちもコロナ対応を見ていたら「自分に直接関係があること」だとひしひしと感じたのだろう。これはヤバいと。
なぜ多くの人が異議を唱えたのか
たとえば相変わらずこんなことをやっている。
「一斉休校要請決めた会議も『議事録なし 』」(毎日新聞WEB3月6日)
この怖さは何かといえば、今の子どもたちが将来またウイルスと対峙したときに「あの時、政府はどう決断、判断をしたんだろう? 」と確認しようにもプロセスが不透明だと役に立たないのである。未来の日本人に迷惑をかけているのだ。先人の歴史に学び、未来に受け継いでいくという伝統を破壊している。
そういえば今回の検察人事も従来の慣習をあっさり破ったものだ。改革ではなくただの破壊。自分たちに都合がよければ過去や未来は関係ない。これはもう保守の態度でもなんでもない。
「#検察庁法改正案に抗議します」のきっかけをつくった人が「新型コロナ騒ぎが見方を変えた」というのは象徴的だ。見えないウイルスのせいで見えてしまったのだ。現政権の態度が。
今回の件は検察人事という専門的な話ではない。コロナ対応にもつながっているし、そもそも主権者のピンチでもある。だから多くの人は異議を唱えた。
姑息の集大成である、#検察庁法改正案に抗議します