パリを舞台にしたアート小説を書くために、頻繁にパリを訪れて、とにかく街を歩いている。私がパリ滞在の拠点としているバスチーユ広場付近から、オステルリッツ橋を渡って左岸へ。セーヌ河畔をそぞろ歩き、サン=ルイ島からシテ島へ。ポン・ヌフ橋に佇めば、彼方の空にアンヴァリッドの金色の帽子とエッフェル塔が浮かんでいる。いつ来てもパリは変わらず美しい。パリは……。
などと、すっかり甘々の「パリかぶれ」になっていたところに、「お前の見ているパリは上澄みにすぎない!」とばかりにズシンと重い一撃をくらわされた一冊、それが本作である。ここに出てくるパリは、私たちがよく知っているため息が出るほど美しいパリではない。いまはなきパリの吹き溜まり、暗渠ばかりである。近代都市として目覚しい発展を遂げ、「花の都」と讃えられるまえの、人間臭いパリなのである。
著者の鹿島茂氏は「十九世紀屋」を自称するほど十九世紀ヨーロッパ史に通暁した碩学である。十九世紀半ばに様相が一変してしまったパリは、著者に言わせると〈完全に別の都市に変貌したといっても言い過ぎではない〉らしい。十九世紀前半のパリの姿は、いまではもう小説や絵画の中に探るほかはない。にしても、絵画に描かれるのは理想的に演出されて、絵の注文主たる貴族や富裕層にアピーリングな(つまり暗渠とは程遠い)場所がほとんどである。その点、ありのままに事物を描写する写実主義的小説の中には、美化されていないパリが登場する。悪人も善人も浮浪者も娼婦も同じ空気を吸って生き、そこには偽善も悪徳も不条理も蔓延(はびこ)っている。それらこそが小説の血肉となっているのだ。
ところが「あの頃のパリ」は、セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンがナポレオン三世の命を受けて手がけた大改造によって駆逐されてしまった。パリの凱旋門から放射線状に十二本のブールヴァール(大通り)が伸び、庶民の家は撤去され、高さとファサードを揃えたアパルトマンに統一された。市場が消え、駅が造られ、確かにパリは生まれ変わった。しかし、「人間喜劇」や「レ・ミゼラブル」に登場する人間臭いパリは永久に失われてしまった。それでも、歴史的建造物――アンヴァリッドやコンコルド広場は残されている。それでいいじゃないか……となりそうなところで、著者は「待った」をかけた。もはやあの頃の風景が戻らないならば、自分の手で復元するまでだ。そう、本の中で!
パリに留学した際、バルザック時代の街並を妄想していた著者は、せめて自分の脳内で失われたパリを復元するに足る景観図はないものかと古書店を訪ね歩いたがかなわなかった。帰国して二年半後、古いパリの路地裏の魅力を描いた版画家、マルシアルによる三百枚の銅版画をオークションで発見する。そのときには入手ならずも、回り回ってその版画集をついに落手した。その瞬間から著者は、バルザックが呼吸していたあの時代、失われたパリの復元に着手するのである。
本書は「あの頃のパリ」にこだわり抜いた著者の執念の一作である。マルシアルの版画とパリの古地図をもとに、著者の妄想散策は炸裂する。本書を読み進めるうちに、いつしかバルザックに導かれて「あの頃のパリ」の中へと迷い込んでいく。
著者が復元したのは、失われたパリだけではない。人間が人間らしかったあの頃のパリの、人間そのものをこそ、見事に復元したのである。