Kの人権を主張する人々も
Kの死因は「圧迫死」だった。圧死ともいうが、群衆事故などで時々発生している。胸部を重たいもので押さえつけられたり、群衆の中で身動きが取れなくなったりすると、呼吸ができなくなり死に至るのだ。
警察官が到着したとき、数名が折り重なるようにしてKを押さえつけていた。Kは逃げようと激しく抵抗するし、爆発物を投げ込んだ犯人である。逮捕にあたった従業員らは当然Kを逃がさないよう一生懸命押さえ込む。従業員らはKの腕や足だけではなく、時には首も押さえている。ただそれは死因になるものではない。
解剖の結果、Kの舌骨にも異常はなかった。舌骨は喉仏の上側にあり、絞殺や縊死の場合、折れることがある。Kの場合は絞殺でも扼殺でもない。何よりも一部始終が防犯カメラに映っていた。
それに対して、Kの人権を主張する人々もいた。事件の翌年には作家の宮崎学氏や著名な評論家などが参加し、北九州市小倉北区で「人権を考える」と称する大会が開催され、弁護士らが記者会見を行い、Kの両親らが逮捕者である店の従業員や福岡県に対し損害賠償請求訴訟を起こしたと発表した。Kの遺族は、その前年には逮捕者である従業員や現場警察官を殺人罪で告訴していた。
この「人権」とは襲撃実行犯のKのことで、被害にあった女性たちの人権は含まれていない。Kの遺族の告訴については、福岡地検が捜査の結果、「嫌疑なし」で不起訴とした。また、損害賠償の請求は原告側が取り下げている。
「逆らう者は許さない」という工藤會
一方、ぼおるどへの脅迫は続いた。事件後、倶楽部ぼおるどはガードマンを雇って営業を再開したが、実弾入りの脅迫状が送られるなどして、事件の翌月には休業、ついには廃業してしまった。「逆らう者は許さない」という工藤會の目的は達成されたのだ。
事件以降、福岡県警は工藤會に対する一斉摘発を続けた。平成15年は7回の一斉摘発を行い、工藤會組員90人、準構成員等102人を検挙した。平成16年は暴力団員200人、準構成員等292人を検挙している。
工藤會組員は平成15年末で約580人、翌年末が約590人だったから、2年間だけで二人に一人を検挙していた勘定になる。もちろん、罰金となったり、処分保留で起訴猶予となるものもあった。それでも、工藤會組員のうち、実質3分の1程度が勾留、服役で社会不在となっていた。しかし、これだけの取締りが行われたにも拘わらず、工藤會組員は減少するどころか年々増加し、平成20年末には、県内で約730人と、そのピークを迎えた。取締り中心の暴力団対策には限界があったのだ。
工藤會はその後も市民や事業者に対する襲撃事件を繰り返していくことになる。
(#2へつづく)