かつて「暴力の街」「修羅の街」と呼ばれた福岡県北九州市。全国唯一の特定危険指定暴力団「工藤會」がこの街を牛耳っていたからである。しかし今、工藤會の屋台骨がぐらついている。福岡県警による相次ぐトップ検挙。一体何があったのか――。  現場を指揮した元刑事が、工藤會壊滅作戦の全貌を明かした「県警VS暴力団 刑事が見たヤクザの真実」(文春新書)から一部を抜粋する。

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「警察の職務質問に応じるな」

 平成18年4月、福岡県警は工藤會対策のため、北九州市警察部長をトップとする北九州地区暴力団総合対策現地本部を北九州市警察部に設置した。私は、トップを補佐するナンバー2の現地統轄管理官として北九州市警察部勤務を命じられた。

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 工藤會の取締りは、これまで、捜査第四課を主とするものだった。これに刑事部から捜査第二課、捜査第三課、薬物銃器対策課、生安部から少年課、生活経済課などの特捜班を専従させ、特捜班だけでも捜査員約200人に強化した。

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 この頃、工藤會側は「警察の職務質問に応じるな」と配下暴力団員に指示していた。

 例えば車を運転中の工藤會暴力団員を停車させても、免許証は見せるが、一切、質問には応じようとしなかった。そして、すぐに応援の組員を集め、警察官に抗議した。

 このため、工藤會に対する職務質問専門のパトカー部隊・特別遊撃隊(略称・特遊隊)を機動警察隊内に新設した。私が拘った点は、特遊隊は基本的に制服勤務とすることだった。これは、北九州地区の市民に、制服警察官が工藤會組員に対して積極的に職務質問している姿を見てもらいたかったからだ。県警の本気度を知ってもらいたかったのである。隊員側の発案で、「特別遊撃隊」と金糸で刺繍した黒腕章を着用した。この特遊隊によって暴力団員がそれぞれ使用している車の把握が進んだ。これは後に事件捜査でも大いに役立つことになった。