「築地は皆さん自身が培ってこられた目利きの力」
「皆さんに何よりもお伝えしたいのは、この築地という、世界にも稀に見るブランド力のある築地は皆さん自身が培(つちか)ってこられた目利きの力であり、ここに来る間に貼られていたポスターにも書かれていましたが、『築地市場の心意気だ』と。本当にそうだと思います。それによって築地の歴史が作られてきた。その歴史をあっという間に消し去るなんて、私にはできない!」
会場は静まりかえった。目利きの力と心意気が作った築地の伝統を壊したくないと語る都知事に皆、胸打たれていた。
「だからこそ、皆さんの声を直接伺って、どうすることがいいのか。お詫びに加えて、皆さんのご意見を伺いたい、というのが今日の私の趣旨でありました。場合によっては頻繁にここに伺ってもいいと思っておりまして。この築地という東京の宝、それをいかに守って継続して、発展させていくのか、ここは皆さんと知恵を出し合いたいと思っているんですよ」
移転賛成派も反対派も一様に都知事のスピーチに感激し、拍手が起こった。さらに小池は、一瞬、口ごもると、言いにくそうにある話を切り出した。
会場の人々が感激した小池の「物語」
「ここで、こういうことを言うのが、ふさわしいのかわかりませんが……」
逡巡してから、彼女は突然、自分の秘密を打ち明け始める。それは自分が留学していた時、母親が来てカイロで日本料理屋に入って憤慨し、自分が本物の日本料理店を作るんだと言い出したという例の「物語」だった。
「一主婦がエジプトの地で日本料理店、始めたんですよ。で、実は私、母から『たらこ』を何箱、買ってこいとか、ファックスが入ると、このへんうろうろして。いい蒲鉾(かまぼこ)はどこで売っているかとか、タヌキそばのタヌキはどこで売ってるか、とか、実は結構、詳しいんです。本当に母の店は小さな店でしたけれど、やはり、これは築地からです、というとお客様が『オー』といって喜んで下さる」
都会的で遠く離れたところにいるように見えた都知事が自分たちの仲間だったとは。料理屋の娘で築地の買い出し人だったとわかり、会場の人々は感激していた。