コロナに脅かされる首都の命運を担う政治家・小池百合子。女性初の都知事であり、「次の総理候補」との呼び声も高い。
しかし、われわれは、彼女のことをどれだけ知っているのだろうか。
「芦屋令嬢」として育ち、謎多きカイロ時代を経て、キャスターから政治の道へ――。常に「風」を巻き起こしながら、権力の頂点を目指す彼女。『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋)は、今まで明かされることのなかったその数奇な半生を、ノンフィクション作家が3年半の歳月を費やした綿密な取材のもと描き切った。
石井さんは、カイロ時代の小池都知事の同居人・早川玲子さん(仮名)に話を聞いている。そのなかでエジプト留学中の小池都知事について、きわめて重大な証言がいくつもあった。『女帝 小池百合子』より一部を抜粋する。
早川さんが小池と同居するに至った経緯
「娘がアラビア語を勉強するためカイロに留学した」
小池百合子の父・勇二郎は、中東でも日本でも、商談相手や有力者に積極的にそう語っていたという。中東にやって来ると商談の場や接待の席に小池を伴った。
カタコトのアラビア語を話す日本の若い女性は、ものめずらしく喜ばれた。カイロでキモノを着て出かけていく小池を、口の悪い日本人留学生たちは、「ゲイシャガール」と陰で呼んでいたという。早川さんが振り返る。
「若い百合子さんを心配した商社マンの奥様が、『小池さんは日本人の女性と一緒に暮らしたほうがいいのではないか』と心配して同居人を探させたのだという話を、何年も経ってから聞きました」
早川さんの日記には当時の戸惑う思いが綴られている。
「百合子さんはとても若い。まだ、子どもなのだから、守ってあげなくては」
早川さんは母親宛の手紙に、まるで自分に言い聞かせるように、そう書いている。
ふたりがザマレックの高級アパートで同居生活を始めるのは1972年6月。
1LDKなので独立した個室は一部屋しかなく、リビングダイニングの一角をカーテンで区切って、もう一部屋を作った。小池が先に個室を選び、早川さんはリビングの一角を自室にすることになった。