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「あ、準備しなきゃな」市原悦子さんが75歳のちょっと前から断捨離を始めた理由――2019年の訃報記事

市原悦子が残した25の言葉

2020/06/05
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『あ、準備しなきゃな』と思い、断捨離を始めた

 市原さんが断捨離を始めたのは、自身の病気がきっかけである。

「69歳で肺がんの手術をしたでしょ。ごく初期だから何の症状もなかったけど、先生が『手術しろ』って言うし、セカンドオピニオンも同じだったから。それをきっかけに体調も崩れてきたのね。

 その時から、『あ、準備しなきゃな』と思い始めて、75歳のちょっと前から断捨離を始めたんです。まず大きいものを全部手放しました」

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 最初に処分したのは、バブルの頃に買った伊豆の土地である。稽古場を建てたいと夢をふくらませて、何度も設計図を引いたが、結局は二束三文で手放すことになった。

 次に整理したのは大京町の事務所だ。

「耐震性に問題があったんだけど、住人が年寄りばっかりで、建て直すのかって言ったらお金は出さないし、じゃあ修理するかとも決まらない。管理組合ももめてもめて全然埒(らち)があかなくて。『ああもう売っちゃえ!』って。病気になると、もさもさしたのがイヤになるの」

 こういう時、市原さんの決断はすばやい。

 本格的な断捨離が始まったのは2011年、東日本大震災の前である。山田洋次監督の『東京家族』の母親役に抜擢されたが、震災による撮影延期のため時間ができた。翌年2月には、S状結腸腫瘍で映画を降板。

©駒澤琛道

「写真をビリビリ破いて捨てたの」

 雑誌『ゆうゆう』2011年3月号で、最近、段ボール箱3つにぎっしり詰まっていた写真を整理したことを話している。

「ものを持っていると縛られてしまいますから、常に常に、ものを減らすということをここ数年、心がけているんです。でも、写真の整理は本当に大変でした。延べ20日間くらいかかりました」

 これまでの膨大な写真を上階の床に全部広げて、プライベート、親族、友人、舞台関係、映画関係、テレビ関係、歌のステージ、バラエティに分類した。

「一つの出来事につき、数枚しか残さないと決めて、写真を選びました。記録として残しておきたいもの、写真としておもしろいものを選びます。10枚から2枚選んだら、あとの8枚はビリビリ破いて捨てました。破らないと、また拾ったりするかもしれないから」

そのとき気づいたことをこう語っている。

「どなたの場合も、カメラを見てニッコリの写真はおもしろくない。写真の中の光と影にぞくぞくして、空気や風や心の動きが感じられる写真がいいですね。うまくできなかった舞台の私は、写真でもつまらない顔をしているということもわかりました。写真の山と格闘して、そんな発見もして、大変だったけどおもしろかったです」