2019年に亡くなられた方の追悼記事のうち、文春オンラインで反響の大きかったものを再掲します(初公開日 2019年12月8日)。
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ドラマ「家政婦は見た!」の主演やアニメ「まんが日本昔ばなし」の声優を長年にわたり務めたことでも知られた市原悦子さん。今年1月12日に惜しまれつつも亡くなった市原さんが生前に遺していた「ことば」をまとめた書籍『いいことだけ考える』が発売されました。生前から片づけが大好きだったという市原流“断捨離術”を公開します。
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10ヵ月ぶりに病院から自宅へ戻り、自宅療養が始まった
2017年8月21日、自己免疫性脊髄炎で入院していた市原さんは、約10ヵ月ぶりに病院から自宅へ戻り、自宅療養を始めた。
訪問医、看護師、理学療法士、介護ヘルパーなどが、毎日のように訪ねてくる。長い間、『家政婦は見た!』の主役を演じてきた市原さんは、初めて住み込みの家政婦さんを雇うことになった。
市原さんの2人の妹さんや亡き夫の姪御さんで作る「チーム市原」に、この年の一月からわたしも加わり、週2回、彼女のもとを訪ねて話し相手となり、色々なお手伝いをした。
新しい生活に慣れると、市原さんはベッドの上で、7月に出版された『白髪のうた』(春秋社)に毛筆でサインを始めた。わたしはサインに朱印を押したり、手紙の代筆をしたりする。
そんなとき、「お習字の道具はどこですか?」とか「住所録はどこにありますか?」と聞くと、市原さんはすぐに答えてくれた。その答え方は「引き出しの○番目」とか、「押し入れの上から2番目の棚の右の方」といった具合で、家のどこに、何をしまっているかを、驚くほど正確に覚えていた。
都内の自宅マンションは、まだ俳優座の舞台女優であったころ、「清水の舞台から飛び降りる」思いで購入したものだ。内装の材料に木と紙だけを使ったこの家に、市原さんは夫の塩見哲さんと50年近く暮らした。その間に同じマンションの一階上の部屋が売りに出て、購入した。
ハンカチを、手縫いで何枚も丁寧につなげて作ったキッチンの暖簾
仕事の打ち合わせや麻雀でお邪魔したとき、わたしが通されたのはこの上の階の部屋だった。完全にプライベートな空間である下の階に対し、こちらは応接間兼塩見さんの書斎兼稽古場になっていた。右手の壁面は塩見さんの蔵書で埋まり、左手は全面両開きの棚で、十分な収納力がある。
雑誌記者から「暇なときは何をされてるんですか」と聞かれると、いつも市原さんは「お片づけ」と答えていた。妹さんたちも「姉はお片づけが大好きでした!」と声をそろえる。キッチンの暖簾(のれん)も、刺繍がほどこされた小ぶりな木綿のハンカチを、手縫いで何枚も丁寧につなげて手づくりしていた。