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自ら陣頭指揮をして井戸を掘り始めた

 ユニセフによると、アフガニスタンでは子どもの6人に1人が5歳以下で死亡している。その最大の原因は感染症によって慢性化する下痢とされる。

「医療よりもまず水だ」

 中村は小さな診療所の限界を感じ、医療活動を超えた支援に踏み切る決断をする。そして、アフガニスタンで井戸堀りを始める。

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 診療所の周辺などで中村が、自ら陣頭指揮をして井戸を掘り始めた。さらにはアフガン伝統のカレーズと呼ばれる地下水路の修復も始めた。すると、村人の病気が減った。赤痢などの感染症が激減したのだ。

 しかし、問題は終わらなかった。2000年ごろからアフガニスタンは大干ばつに襲われ、地下水も枯渇し始めたのだ。「カレーズも、かれーるんだよ」。中村はそんなダジャレを口にしつつ、次なる挑戦に進んだ。

 それは用水路の建設だった。

アフガニスタン東部ジャララバード近郊のガンベリ砂漠の岩山に立ち、用水路計画について語る中村哲氏(2008年) ©石山永一郎

 中村は2003年にアフガニスタン東部ジャララバード近郊のクナール川沿いのガンベリ砂漠に乗り込み、クナール川からの水で用水路を建設し、土地を緑化する事業をペシャワール会とともに始める。

「あの山のすそまで水を引くんですよ」

 中村の活動はすべて医療が原点だが、そのころからは医師としての活動をはるかに超えた次元に進んでいた。

 2008年、私はジャララバードで最初の用水路が完成したガンべリ砂漠の光景を見て息をのんだ。クナール川から引いた用水路で、砂漠の緑化がかなり進んでいたのだ。

 切り通しの岩山の上で中村は言った。「あの山のすそまで水を引くんですよ」。それは、地平線のかなただった。その後、その山のすそまで実際に水は引かれた。砂漠は緑化され、パキスタンなどに「干ばつ難民」として去っていた人々がこの地に戻り、再び農業をするようになった。

中村とペシャワール会による用水路によって土地が緑化され、パキスタンから戻ってきた農民(2008年) ©石山永一郎

 用水路建設自体は、日本のゼネコンにやらせればできないことではない。しかし、中村とペシャワール会は、この総延長24キロの壮大な工事を、1期工事9億円、2期工事6億円の計15億円の寄付だけでやり遂げた。人件費などが違ってくるとはいえ、日本で同様の距離の用水路を建設すれば、少なくとも500億円以上はかかる。それも、武装集団や軍閥が割拠し、さらにはアフガン戦争以来、米軍の戦車が往来し、空爆も頻繁に行われるアフガニスタンという危険地でそれをやり遂げたのだ。