2019年に亡くなられた方の追悼記事のうち、文春オンラインで反響の大きかったものを再掲します(初公開日 2019年12月6日)。

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 餓死とはどういうことかを、アフガニスタンで中村哲に聞いたことがある。

 何週間も食べる物がなく、飢えに苦しんだ末に衰弱して死ぬというイメージが餓死にはあったが、医師として中村がアフガニスタンで見てきた餓死は違うと言う。

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「人がどうやって餓死するかというと、まず、食べ物がまったくないわけではなく、足りなくて栄養失調状態になる。そして飢えを紛らわすために不衛生な水をたくさん飲む。その結果、赤痢などの感染症に罹り、脱水症状になる。そして死ぬ。これがアフガニスタンでの餓死の典型」

話はすべて具体的で分かりやすかった

 徹底した現場主義の中村は、飢餓、人の死、そしてアフガニスタンで続く戦争について、いつも淡々と語った。しかし、その話には、長い経験と深い洞察に裏打ちされた説得力が常にあった。一見、その姿は気難しく見えるが、じっくりと話を聞くと、観念的なことは一切言わず、話はすべて具体的で分かりやすかった。

 中村は九州大医学部を卒業後、国内病院勤務を経て、1980年代半ば、日本を離れてアフガニスタンに近いパキスタン北部の町ペシャワールで医療奉仕活動を始める。その中村を支援するため、1983年に福岡で設立された非政府組織がペシャワール会だ。

アフガニスタン東部ジャララバードのペシャワール会事務所でアフガニスタン人スタッフと談笑する中村哲氏(2008年) ©石山永一郎

 当初、中村はハンセン病患者の治療を主な活動としたが、パキスタンでの活動が政治情勢から難しくなり、アフガニスタンに移ってからは、本格的な診療所を開設して人々のあらゆる病気を診てきた。ハンセン病についてもアフガンでは治療方針を大転換する。

診療所には、いつも患者が長い列を作った

「ハンセン病を特別な病気として扱うこと自体、間違っていると悟った。それは先進国の発想で、マラリア、赤痢など『感染病の巣窟』であるアフガニスタンでは、ハンセン病患者を特別扱いなどしていられなかった。ハンセン病はそもそも感染力が非常に弱い。私の診療所では、ハンセン病患者を一般患者と同じように扱うようにした」

 中村のアフガニスタンの診療所には、いつも患者が長い列を作った。遠方からやっとたどり着いた女児の体が、その列の中で冷たくなっていくこともあった。