1ページ目から読む
3/3ページ目

部長・課長が「用なし」に

 中間管理職がいなくなり、社員のタスクが直接会社のヘッドクォーターに送られ処理されるようになれば、組織はおのずとピラミッド型から文鎮型に変わるはずだ。部長や課長といった役職も必要なくなり、「部長のゴルフのお相手をするから出世する」などといった村の論理はいっさいまかりとおらなくなる。

 部長やってます、課長ならやれます、という社員が「用なし」となるのがポスト・コロナ時代の会社なのだ。もちろん日本の労働法は圧倒的に社員を庇護する体系にある。米国のように「はい、明日から会社に来なくてよいです」といわれてレイオフになることは現実としてはない。

 だが、用なし社員に対して、会社は今まで以上に冷酷な対応を始めるだろう。「はい、明日から会社に来なくてよいです」と思いつつも、すぐに首にできない分、パソコンだけ与えて「在宅勤務していてください」となるだろう。会社には彼、彼女のための机なんてもはやいらないからだ。パソコンだけでつながる「何の用もない社員」として位置づけられるのだ。

ADVERTISEMENT

©iStock.com

街をさまよう“野良リーマン”の時代へ

 さて家に一日いて、パソコンに向かっていてもほとんど仕事は来ない。来てもつまらないデータの整理的なものでほとんど時間はかからない。そんな中高年社員はどうなってしまうのだろうか。

 これこそ、“野良リーマン”の誕生である。会社という飼い主のところに出かけることは許されず、野放しになった社員たちのことだ。会社の中ならヒマであっても社内をうろうろして、ほかの社員と無駄口たたくだけのコミュニケーションはとれたのに、本当に独りぼっちだ。会社の目を盗んで、というよりも会社も自分には何の関心もないので、家を抜け出して街中をうろつく。喫茶店で時間を潰し、図書館で雑誌をめくる。

 街中にはこんな“野良リーマン”たちがたくさんうろつき始めることだろう。でも見方を変えれば、雇用が維持されている限りにおいては、意外と幸せかもしれない。なんといっても野良は、犬でも猫でも飼い犬、飼い猫と比べてはるかに自由だからだ。おまけに一応自分の飼い主であるはずの会社が、餌くらいは与えてくれるのだから。

 サラリーマンほど気楽な稼業はない。植木等がそう歌って踊ったのは遠い昔だが、ポスト・コロナは新しい“野良リーマン”の時代になるかもしれない。