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 まず目立つのが、症状が悪化して救急搬送された高齢者の多さだ。搬送先でCT検査(コンピュータ断層撮影検査)されて肺炎が分かるなどし、PCR検査に回された。

 例えば、5月24日に陽性と分かった60代の女性は、 同21日に寒気がし、翌22日には39度台の発熱があったという。同23日に意識を消失して、救急搬送された。搬送先で胸部CT検査をしたところ肺炎が見つかり、PCR検査が行われた。

老人ホームや小学校での集団感染

 5月25日には、6人の感染が分かったが、前々日に陽性と判明した患者の「濃厚接触者」が1人含まれていたため、まるきり新しいルートの感染者としては5人だった。このうちの1人は男子高校生で、彼を除いた4人は60~80代の高齢者だった。

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 4人はそれぞれ、▽意識を失って救急搬送▽前日から40度台の発熱と腹痛があり、救急搬送▽前日から40度台の発熱や頭痛、倦怠感があり、救急搬送▽呼吸困難になり、救急搬送――とされており、かなり症状が悪化してから搬送されたことになる。

北九州市役所(筆者撮影)

 この4人の高齢者のうち、2人がそれぞれ入院した病院では集団感染が起きた。搬送に携わった救急隊員も感染した。

 集団感染は特別養護老人ホームでも発生した。別の日に心肺停止で救急搬送され、陽性判明したものの亡くなった80代の女性が入所していた施設である。

 小中学生への広がりも次第に分かり、小学校で同じクラスの児童が集団感染していたと分かった。

「感染者確認ゼロ」は偶然だったのか?

 一方、5月25日に陽性判明した高校生は、感染が分かるまでにかなり長い期間を要した。同11日に下痢や腹痛があったといい、同17日には39度台の発熱のほか、咳、鼻水、全身倦怠感があった。こうした症状が続くため、同22日に医療機関を受診して、25日にPCR検査を受けた。もう少し受診が早ければ、「感染者確認ゼロ」の期間中に判明していた可能性はなかっただろうか。

「第2波初日」の5月23日に感染が判明した陽性者のうちの1人は無症状だったが、同20日に持病で病院に掛かった時の検査で分かった。それ以前に病院で検査していたら、もっと前に判明していたかもしれない。

小倉城は6月18日までの臨時休館が決まった ©iStock.com

 5月23日までゼロだったのは、たまたまだったのではあるまいか。

 北橋市長は「第1波の検査体制では、無症状の人が陽性と判明することはまれだった」と記者会見で話している。高熱が4日間続くなどという“基準”で判断され、PCR検査の体制も整っていなかったからだ。